キャプテン・イッシー

第1話 

「ばかやろー」  その1  (2001.12/8)

「ばかやろー」と思わずののしりの罵声を上げてしまった。 探し当てたアパートの入居に際して身元保証人になってやった若者、否バカ者が さらなる窮状を訴えに来た時のことだった。 家賃はキチンと払っていると言うが、追求すると事の真相が分かってきた。 猫を飼っているのを大家さんに見付かってしまったと言う。しかも今や6匹も居る のだと言う。 動物の飼育を禁じている誓約書に署名捺印しているにもかかわらず 手放すのが可愛そうで、密かに飼っているうちに外で強姦されて今や6匹になった と他人事のように話した。 猫の一件がバレて追立を喰らうのが今回で3回目だと 聞かされた時は、押さえていた感情が爆発してしまった。  
「ばかやろー、お前は学習能力も無いのか?猫よりおまえの方が可愛そうじゃ」  
病み上がりで金は無し。 猫を6匹引き連れて、蝙蝠傘に山高帽(まさか)、風 呂敷包みを背中に背負い、骨董的価値しかもたない古い本皮のトランクを下げ て、とぼとぼと・・・・・・。チャップリンの映画に出てきそうな動物と主人公の哀 れな がらもほのぼのとしたワンカットだ。
 都心(ローカルの)にはほぼ近く、風呂は無いが安い家賃で独り者を入居させて くれるアパートは、いくら探しても、今の物が今世紀最後の掘り出し物だと認めていただけに、半年もしないうちに追い立てられる行為に及んだこの馬鹿者には無性に腹が立ってきた。
 「自分を改善しないまま、この上、俺に何をしろと言うのんかー?」 
 町の真中を流れる一級河川に掛かる橋下には、既に先客住民が居る事を確認 はしている。
 この世間に甘えている若者を、ちょいとここで突っぱねる気持ちで言ってやっ た。
 「橋の下へでも行け!」
 即答が返ってきた。 「テントは用意している」  ギクッ!  


第二話

「ばかやろー」 その2
     
  「先輩、イギリスへ行ってボートショーを見てきました」
  昔の事だが、暫く姿を見ないと思っていたら、ひよっこり現われて、嘘か誠か判別しかねるが、そんな話を始めた。
 「ナタリー号の船長と知り合って、連れて帰っても らったのです。」と言った。 ナタリー号とは映画007シリーズの初期の作品で ショーンコネリーが登場する船内シーンに使われた優美な小型汽船型ヨットである。 これを購入して、広島の西、宮島口にそのヨットを中心としたテーマパークが作られて今から数年前までナタリーランドとして客を集めていたので広島ローカルでは有名である。イギリスから自力回航して広島まで運んで来た時の船長と知り合って、帰国 ついでに連れて帰ってもらったのだと言った。滞在中はパブでボーイのアルバイトを していたと言う。 「ばかやろー、人を担ぐんじゃないぞ。二十歳そこそこで金の無いバーテンダーのお前が、どうやってイギリスなんじゃ」私にヨット遊びを習い始めて間が無い彼に、懐疑の言葉を投げつけた。
  その頃は既に水商売で生きていた男なので、パブの話からややこの話には信憑性が高まってきた。二十歳そこそこのバーテンダーに担 がれたかと思った話だったが、英文で書かれたボートショーのパンフレットを見せられて、この話は信じるな足ると確信した。
 この一例をとっても彼の面目躍如たる機動性と人懐っこさ、好奇心とヨットに対す る情熱が性格として表れている。 そこが私は好きなのである。  飄々として話が面白いので、男達でもすぐ100年の知己のように錯覚を起こし、 知らず友人の一人にしてしまうという天性の特技を持っている。ところで彼の欠点 は、女にもてすぎる事である。 やや細身の坊ちゃん坊ちゃんしている風貌に女は何処くすぐられ何かを感じるのだろうが、真相が解るまでには、20年の歳月が必要だった。 もてるから努力をしない。棚ボタだから大事にしない。言い換えれば女にだらしが無い。  その性格が今日の窮状の伏線になっていた。
 「お前のその性格は、どこから来たんじゃ」と聞くと、シャーシャーとして言っ た。
 「先輩に習った」
 「ばかやろー、ヨットは教えたが、女のほうは・・・・・・・・」  彼は返す言葉で言った。
 「習うより、慣れよ。技術は盗みました。」  


第3話

「ばかやろー」その3      

 大家さんに内緒で猫を6匹も飼っているのが見付かって追い立てを喰らっているこのバカヤローは、私に呼びかける時は「先輩、先輩」と言い、友人に私を紹介す る時は「俺のヨットの師匠」だと言う。ヨットに関してはメキメキと腕を上げてローカルレースでは何度も優勝を果している。外洋のクルージングにも沖縄行きから種子島、屋久島、韓国の済州島や釜山まで連れ出したお陰で、体験も人後に落ちず豊富である。
 いつもは連絡は取れず、都合の良い時だけ現われて、怒られても怒られても、 先輩とか師匠とか言いつつ擦り寄ってくるのが憎めない所でもある。
 私は兄弟が居ないから、弟然としてあるいは弟子で御座いますという風情でご機嫌伺いにやってくると表の顔では怒りを露わにしているが、内面相好を崩してしまう。まさに窮鳥懐に入れば・・・・である。  今回は相手が違う。大家さんの懐に飛び込んでくれればよかったのだが、大家さんの方が機先を制して懐に隙間を作らずガードを固めていた。
 いっそ親の所へ帰れと発案して、隣の市に住む実家を共に訪ねた。  ここでもまた父親が怒鳴った。
 「ばかやろー、10年も電話一つせず、今まで何をしていたのか?」  予想だにしなかった、父親のその言葉を聞いて、私は茫然自失であった。        


第4話

「ばかやろー」 その4 

 ここに来て初めて、この長い付き合いのばかやろーの境遇が知れた。
 実の母親は、彼を産んだ後に死んだ。今居る兄弟は後妻の子供であり、腹違 いの弟と妹だと言う。 父親の後妻も数年前に亡くなり、ばかやろーの妹は家を出て働いているので、実家には父親と腹違いの弟だけであった。10年もご無沙汰していてはここにも居場所は無かった。
 女運にはめっぽう強い筈のばかやろーは、結婚運には恵まれていなかった。  否これは身から出た錆ではあるのだが、今は3番目の女に去られて天涯孤独の身である。 親類は多いが、身寄りが居ない。病み上がりの身でもあり、寂しさを 猫に紛らわせていた事情は察するに余りあるが、借家のルールを無視したら、居 場所は無くなる。
 10年ぶりに会った父親に「父ちゃん、寂しいけぇ猫を飼ったんじゃ」と言ったと き、父親が驚愕の話をした。
 「何が寂しいじゃ。お前には、別れたとは言え、嫁(筆者注:皆ベッピン)は2人 も居り、子供は3人も居るじゃないか。ワシには、誰も居らんぞ。」  「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・」 茫然自失。
  「このばかやろーは放蕩無頼の徒か・・・」と切れそうになる自分をやっと押さえて家路につく。
 車中、初めて彼の口から、もっともっと深いところの事情を聞かされた。
 レンタルビデオのタイトルを思い出した。「ディープ・ブルー」だ! この家族の ブルーな話には更に驚愕の深い深い黒に近いブルーな話があった。   得たいの知れないばかやろーの正体が見えてきた。 奴は深海魚だったのだ。 
 光の届かない世界でうごめきながらも、光を求めて緩やかに上昇していた時、 水面に浮かぶヨットの下腹が見えた。 近づくにつれて、胸からお尻にかけての 優美な曲線が見え、母親の裸体にも見えたのだと想像する。 その瞬間にそれが 彼のトラウマになった。 あれ以来、曲線を持つものには異常な関心を持つように なってしまった・・・・・・・・・・・・・・・かな? 
 「事実は小説よりも奇なりか・・・・・・・・・・」        


第5話

「ばかやろー」 その後(5) 

 父親の「ばかやろー!」の裏を読め! 俺と女房の「ばかやろー!」の行間を 読め!  勘当同然に扱った父親の寂しさを知ったら、月に一度の連絡をしろ! 俺には 要所要所で報告を入れろ! なにしろ俺様はこの野郎の身元保証人様なのだ。
 「喝! この前貸してやった2000円は返してくれなくても良いから、親父には 定期便、俺には定期報告の電話代に使え。 それにしても、連絡回数が少ないぞ。  まだ電話代1900円くらいは残っとるじゃろうが!」
 時々うるさく喝を入れながらも、どの女を元の鞘に戻すか、仕事は何をさせて、 誰に修行を頼むか、自分の仕事に遊びにどのように関わらせるか、親父とどの 方法で仲直りさせるか、終盤の詰めを考えてしまう。
 しかし、このゲームは将棋よりチェスゲームである。 盤から取り外された駒は 二度と使えない。 残った持ち駒だけで勝負しないといけない。持ち駒が少ない。  母親の顔も知らないこやつが、マザーコンプレックスで、女にはそれが魅力に写るのか、もてるのも理解は出来る。 家庭環境の複雑さから拗ねて他人に甘えたいのも解る。 初対面の人でさえ懐の中へすーと入り込んで100年の知己 にしてしまうという術も、兄弟を求め家族を求める人恋しさなるが故か、あとから彼の境遇を知り、心情をむりやり当てはめると、理解の範疇に留め置く事がで きる。
 新たなものを開拓してその友情をキープする事は大いに賛成だが、去っていっ 者を悪戯に求めても致し方ない。 覆水盆に帰らず、復縁盆にも帰らず(?)だ。
 レンタルビデオの「ファミリー・ビジネス」で泥棒一家の長、祖父役を演じるショ ーン・コネリーのえらそうなセリフが気に入った。  卓を囲むファミリーにカードを配りながら、ひとこと言った。  「人生は、配られたカードで勝負するのだ」   


第6話

「ばかやろー」 最終回      

 振り返ってみても、過去にこの男から金銭的な実害を蒙った事は無い。 陰で誹謗中傷をばら蒔いた事実もない。 ヨットでは忠実にクルーとしての仕事は良くやるし、国際レースでは入賞の栄光を勝ち得る活躍もしてくれた。  今までは長いとは言え軽い付き合いだったので真実が見えてこなかったが、今回の事件を機会に、後輩であり弟子でもある欠点だらけのこやつを社会人として鍛えなおしてやろうと言う気になって来た。  私と女房の前で、初めて見せた涙に、騙されてみてやろうと思った。  家賃敷金礼金を立て替えて払ってやる覚悟はついた。  明渡し期限一週間前になってやっと本気で家捜しを始めた彼は、グズの効用を発揮して残り物から福を拾ってきた。
 バスタブが狭いと言う不都合に目を瞑るだけで、交通の便、地理的条件、金銭的条件等々、諸々好々条件の部屋を引き当てたのだからその強運に驚いた。
 引越し後、彼の部屋を訪ねたら、前住人が照明器具を取り去った天井から、 箱体が異様に黒い薄暗い蛍光灯がぶら下げてあった。  聞いてみると、熱帯魚の水槽の照明器具を応用しているのだと言う。月が変っ て収入が手に入るまでの辛抱だと言った。
 「照明に浮かぶ熱帯魚は美しい物 だが、むくつけき男深海魚が照らし出されても、薄汚いだけじゃ。」と言って、思いっ きり笑った。
 翌日、私はリサイクルショップに立ち寄って、程の良い和風の吊り下げ式蛍光灯器具を買って来た。 リサイクルショップの良い所は、商品そのものが買えるところである。後にゴミになるダンボールの箱も、マニュアル、保証書、ビニール袋 も処理済みな所がいたく気に入っている。
 照明器具を手土産に部屋のドアーをノックしたが、彼は留守だった。入り口のド アーに張り紙をして、品物をそっと置いて来た。  張り紙には次のようなメッセージを殴り書きしておいた。
  「お前は、今まで友人に俺を紹介するとき、自分のヨットの師匠ですと言って来 たが、今度からは、表現を変えてくれ。」 「この人は、僕の人生に”光”を与えてくれた人です。」