2001.Oct.26〜

 

エンセナダで、ひと月強の滞在を楽しんだオリハルコン号は2001年10月26日にメキシコ西岸を南下を開始した。

 

  年 月 日  緯度、経度 気象・海況         解                  説
2001.Dec.31 23-16N
106-25W

Mazatlan
マサトラン(メキシコ)

マサトランのマリーナに一週間程度滞在
2001.Dec.5 ラパズ(メキシコ) ラパズで、無事荷物も受け取り、ここではテッコンドウの道場を見つけた。 あおゆきにとっては二回目の道場で、初めて組手もやらしてもらい、とてもよかった。 ここでは、みすずさんという日本人と知り合った。御主人はマイクさんで、イギリス 人のサーベイやー。年はあまり変わらないが、潮ッ気ある昔気質。何かとお世話になっ た。 それから、鳥取大学の博士一行とも知り合った。中華料理を食べに連れてってもらっ たり、楽しい人達だった。 もうすぐここも出港のはずが、天気が悪く、ポートキャプテンがチェックアウトさせ てくれないし、マイクさんも、今はまだ出るなというので、のんびりすることにした。 昨日、サイコーに旨い、シーフードの店を見つけた。 壁には大きく、マリスコス!と書いている。 ようやく女房の許しが出て、今日はマリスコス(生の貝)が食べられる! その店は、空き地にテントがはってあるだけの店。 こんなのでも、腕が良ければ、はやるんだな、、、。店の人達は、料理の天才だ!自 分の腕で、こんなに人が喜んで、それが仕事にできるなんて、、最高の人生だ。こっ ちまで幸せになってしまった。 ここは、そんな店が結構ある。そして、旨くて、とにかく安い。 でも店にはいり、上を見たら屋根がなかったりする。 大食いのぼくと、家族で腹一杯食べ、ドリンクも飲んでチップも含めて、1300円 弱! これなら遠くまで買い物にいって自炊するのより、安い!?? 12/9 今日は、鳥取大学の方達ととても楽しいひとときを過ごさせてもらった。 焼き芋や、ここでは貴重な日本のカレーをごちそうになり、うまかった、、。 ゆうみ達も、お姉ちゃん達から、ずっと遊んでもらって幸せそうだった。 美鈴さんたちにも、おいしい手料理をごちそうになったり、何かとお世話になった。 ようやく北風が収まったが、又、きつい高気圧の吹き出しが始まるという。 このあたりの北風はなめられないとのこと。しかし、そんなこといってたら、いつま でたっても出られない。風は、強いとはいっても、案外大したことはなく、せいぜい 13メートル/秒くらいだが?、海が浅く潮があるので、ここで4〜5年船で暮らし ている美鈴さん達のいうことを素直に聞いておこう。 この辺の北風の事を、サンタ・アナといい、それが強吹したら波長の短い波も手伝い、 ひどい目に会うとのこと。エリカ号も、その風に会い、コンテツ海北上を諦めている。 明日は、ポートキャプテンなど、手続きに半日。買い物、メール等、忙しくなる。 しかし、すぐ天気が崩れ、出港できなくなれば、もうのんびり行こう、、、。
2001.Nov.20 早いな〜。後10日で12月だぜ。 昨年は、アラスカのビルさんとこでホームシッターだった。 寒かったよな〜。 『2つのベイ』 昨日、ラパズに着いた。ついにラパズに着いた。 エンセナダからカボまでは、今までとは違う、初めての海と泊地って感じ。 海は、思ったよりずっと風が強く、波もあった。そんな中、日夜走ってクインシンヘ。 ここは、無人のワイルドベイ。アラスカやカナダとは大違いで、ただの岬の陰。 湾は大きく、奥までは数マイルもあるのに途中からは浅く、奥へはいけない。 外洋からの波は入らないけど、風は奥から、うねりは後ろからで、200メートル奥 の浅い砂州では、そこだけ感覚を狂わす様な変な波が躍り上がり、思わず目が釘ずけ になる。頭の狂った野犬が、空に牙をふりかざしているような波、、。 西側の半島の外は外洋だ。その半島は、完全な砂の山。まるでホイップクリームのデ コレーションの様な、砂山のシルエットの連なり。 上陸して、そんな頂きで子供とはしゃぎたかったが、テンダーで漕いでいくには、風 が問題だ。とても魅力的な土地がすぐ左に連なっているのに、、。 アラスカで、深い入江を廻り過ぎたのか、、 こんなに開いた湾でのアンカーリングは、とても心がスースーする。 ちょっと流されたら、もう遭難だ、、。 陸と船の、150メートル位の距離は真剣勝負。緊張感であふれている。 テンダーを母船と長いロープで結び、どのくらい漕げるかやってみた。 風と無数の小波で、流されない様にするだけでもうくたくただ。 風が緩くなっても、しばらくしたら又吹き始めたりで、あなどれない。 結局次の日も上陸出来ず、あきらめて出港することにした。 二晩ここで過ごし、夜中に錨をあげた。 その間、キャビンから上半身を出して、湾のまん中の波を飽きずによく眺めた。 湾のまん中で、頭の狂った犬が空に噛み付いているような波、、。 海図とGPSによれば、浅い所は、もう少し奥のはず、、。 左舷側には、生命有る身で時間の物差を当てようとすると、自分のからだが、魔法で 干涸びた土に変えられそうな、、生命のサイクルとは対極の場所。 エンドレスの時間がそこに有る様な、、。タロットカードの、挿絵の様な世界。 僕は、有る印象的な映画が心の中で蘇った。 それは、リメイク版の映画、エクソシスト”。 映画(ビデオ)で感じた空気の臭いって、こんな感じ? イスラエルかどっかの砂漠地帯の、遺跡の発掘現場の太陽と、そのシーンだけで全て を表現した様な、オープニングの不毛の大地での野犬の争い。 この岬の陰、さっきまで数隻の船が錨を下ろしていたのに、 申し合わせたように、みな出て行って、又一隻になってしまった。 もしかしてハリケーンや、南風の嵐が近づいたりしているのでは、、、。 漁船や、他の船は、あわただしく大声で何やら言葉をかわし、みな居なくなったが、 その言葉は、僕らには解らなかった。 風はだんだん腰が強くなり、さっきから15メートル弱、吹いている。 低い雲がどんどん飛んでいき、大きな月が、不気味に雲を蹴散らして疾走する。 「エクソシストベイ、、。」この湾を僕は心の中でそう名づけた。 今は10月の末。メキシコのハリケーンシーズンはちょうど終わった頃。 家族を背負った責任が、胸の中で鉛の様に重い石になったようで、胸が少し苦しい。 ・・・いやいや、そんなはずは無い。季節遅れのハリケーンが発生しても、エンセナ ダからまだ近いここは、その影響の範囲外のはず。 来たとしても、それほどの破壊力は無いはずだ。 いざとなったら、風が南になる前に、うまく外海に逃げ出すことはできる。 たびたびバロメーターの針をチェックしながら、大丈夫とは思いつつ、そんなシュミ レーションを準備する。 エクソシストベイ、、。生命のスープの様なアラスカの海があるんだから、 それに対極する、こんな場所が有っても当然だよな、、。 そんなクインシンを出て、タートルベイからさらに41時間、 その名も「サンタマリアベイ」についた。 ここは、聖なるマリア様のベイ。名前をきいただけで、もう安心だ! 『バハ・ハハの人達と』 タートルベイから、バハ・ハハ”の人達と、一緒だ。 はじめて、多くのヨット達と一緒に走る。 サンタマリアベイは、これ又上陸がおもしろそうな場所。 しかししかし、、またまた、ブレイクする波で、上陸を何度もあきらめた。 とても魅力的な砂丘と砂浜を前に涙を飲んだ。 バハハハの人達と、親しくなった。 ビーチパーティーに呼んでくれたり、楽しい時を過ごした。 無人のサンタマリアベイが、ヨットのマスト灯で、1つの街が出来上がった様に見え る。 ヨットの数は、なんと、バハハハ艇だけで130〜150。 タートルベイからここまで、約240マイル。一番早い船は、55・の最新カタマラ ンで、何と、24時間で着いたという。 (平均で10kt!風の無い時もあったのに、、最高速は!???) いかにもカスタム外洋レーサークルーザーって感じの、レイバン”は64・で、32 時間。オリハルコンは、41時間でフィニッシュ。遅い船は2日半。船はだいたい4 0〜50・代、一番小さい船で28・。 レイバンは、大きなネイティブのレイバンの旗をあげている。折り紙で、太陽をくわ えたレイバンをおり、プレゼントした。 オリハルコンが着いた時は、湾にはもう街が出来上がっていて残念。 オリハルコンは正式にエントリーして無いし、ぼくはレースは素人なので、 スタート時間を15分過ぎてアンカーをあげ、(実は寝坊)スタートラインに急いだ が、風がなくなり、フリートはもう水平線に近い所で、スピンの花盛り。 それでも夜は、水平線の向こうの船までジリジリと、前に見える航海灯は全部追い抜 いた。(トップ集団は遥か彼方でみえない) しかし、強めの追い風の夜は、結構な波の中、フルセールでマストをメトロノームの 様に大きく振りながせまる一隻と競り合うも、それ以上スピードを出すのにビビった 僕は、ついに抜きかえされた。 翌朝は風が横やや前に廻り、オリハルコンの風。水平線の向こうに現れる、見える船 は全部追い抜いた。 そこで気を抜いて、セールをリーフしてオートパイロットに舵を任せ、眠っている間 に風が後ろに廻り、落ちた間にスピンをあげた軍団に抜き返され、ゆうみに起こされ る。 オリハルコンも、練習だ〜!と、慣れぬジェネカーをあげ、1つ前の船の横へ列ぶ。 しかし、あれよあれよという間にまた風が上がる。周りの小さかった白波が、少しず つ大きくなって来た。こうなると、スピンを降ろした方がまけだ。スポーツ的に無理 をして頑張ったが、自分にとっては冷や汗脂汗、、やせ我慢の見栄張り大会だ、、。 となりの船がスピンを下ろし始めた、、。前の船はスピンがフォアステイに巻き付い て、ちょうちん”になっている。 横の船が、完全に後ろになるまで頑張るも、ブローが入るとオリハルコンは狂犬 のように切り上がり、ハラハラドキドキ!見栄とジェネカーを張って走る。(操船は、 ゆうみと2人。降ろす時は大変で、風に強くはためいたジェネカーがソックスに入ら ず、苦戦!。女房に手伝ってもらい、なんとか撤収。) フィニッシュラインに近づくと、波も高くなって来た。 夜10時、ラインを切る。 感想として、強めの追い風は、大きな重い船も結構走るんだな、、。 もっと前を走るって、大変だな〜。スポーツとして練習しなきゃあんな走りは出来な いな、、。オリハルコンを中風の追い風でプッシュして走らせる技術の有る人ならもっ と前を走れただろう。自分は安全(チキン)な走りはできても、あんな走りは出来な い。 日本に帰り着いたら、少しずつ練習してみたい。 航海中は、あんな走りはするつもりは無い。 楽しいけど、240マイルは眠かった。 しかし、平均10ktで走り続けるトップ集団って、どんな世界なんだろう、、。 単独世界一周レースの人達って、こんな感じで走らせて世界をまわるって事?? さあ、これからはまた、走り方を元に戻し、痛めない走りでいこう! その後、サンルーカス、ロスフライレス、ラパズと、楽しい人達と、一緒だった。
2001.Oct.26 エンセナダ(メキシコ)
 出 港
 もうすぐ、ここエンセナダも出港だ。 体調はまだほんの少し悪いが、全然大したことはない。出港したくない病”、、? ここは、別に何と言うことはないけど、なんかおもしろかった。 なーんか、なごり惜しいのだ。なんでだろー、、。 ここでは、日本を出て初めて、運動を日課に入れた。 ゆうみも碧も、はじめはドン臭かったのが、格段に運動能力がもどった。 あーあ、、又出港だ。又思いっきり寝れなくなる。 感動の旅の次に魅力的なのは、僕にとってはグウタラの生活なのかな、、。 今日、出港準備で、ポートキャプテンに行った。そしたら、イミグレにもいかんと行 かんようだし、思ったよりめんどくさい。 出港予定が日曜だったので、手続きじょう、月曜に延ばした。 1日延ばすだけで、何か、学校をずる休み出来ることになった様な充実感。 ここも、予定では後2日でさよならだ。 ハーバーの人も、みな良い人だったな、、。 まあ、とにかく思いきって、えいっ!!と出てしまうのが一番だろう。 しかし、ちゃんとセーリングできるかな??、、とにかく、出よう、、、。