メ キ シ コ 2001.Oct〜.

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 写真は、エイ事件のあった、バランドラの入江で、死んだマンタの子供。

 

コンテツ海の無人島の岩礁、シーライオンロックです。
写真のは、あおゆきと泳いでいた小さなシーライオンの中の1頭です。
後ろの岩場にいる黒いのは、大人のシーライオン。 水の中で近寄って来られると、超迫力です、、。
(撮影:やましたゆうみ) では、今日はこの辺で失礼します、、。

        2002.2/23 受信

 日本も、もう少しで春ですね。 オリハルコンは、パラダイスビレッジを出て、 ジーワタネホまで友達に会うために南下。 目的を果たし、沿岸を北上。行きは、あまり燃料を積んでなかったので、ジェネカー を揚げても2ktという日もありで、エンジンに物を言わせて走る純クルージング艇が水平線の彼方に消えて行くのを眺めながらの、ペイシェスな日々でした。

「ジーワタネホで、又会おう!」その軽い一言の会話、そのあって無い様な約束?のために走った往復1400・の海路。まさか友人は、その為だけにここまで走って来たとは思わないだろうし、思ってほしくもない。
 最後はやはり、向い風と波で苦労しましたが、友人との再会、これまでとはやはり違う街並、そして、小さな約束を果たしたという自己満足、、。

  帰り道、微風の中、いつもの様にイルカが遊びに来ました。 海のまん中を、ゆっくり走るオリハルコン。 どこまでも深く、広い海。吸い込まれる様な、碧の世界。 海の透明度の高さが、イルカの姿を浮き彫りにする。 僕はオリハルコンのセールを降ろし、マスクとフィンをつけて、 船尾から海に静かに飛び込んだ、、。 セールを降ろしても、ほんのわずか、進んでいるオリハルコン。 下を見ると、足下の遥か下まで、ブルーが広がっている、、。 船尾から、イルカの遊ぶ船首へ向かう。たったそれだけの距離を、 船から離れるのが、理屈を越えてこわかった。 一度離れたイルカ達が、又戻って来た。 水中めがねを通して、2頭のイルカがこっちをみているのが見える、、。
  周りを取り巻く、本当のブルー。 外洋にぽつんと浮かぶ自分のヨットから、ほんの数m離れ、泳いでみる事が、 こんなにも恐ろしく、、、。 海の色については、思った以上に違うのに興味をひかれてしまう。 水平線の青の中に、身をしずめた孤独感。 黒い宇宙に浮いた、小さな地球の青い色の様な透明感。バランス、、。 ブレイブマンのいう様に、同じ様に見えた海も、それぞれが違うんだという事、、。 海はつながっているのに、どうしてこんなに違うんだろう、、。
  これまでも、スクリューにゴミがかかったりで、海のまん中で潜った事は何度も有る けれど、こんな透明の、深い海で、イルカに挨拶できたのははじめてだった。 これからは、どんなにきれいな浅い海でも、透明度の高くない深い海で泳いでも、こ れほどの満足は得られないだろうと思った。 外洋の海は、水面”を隠れみのにして、言葉を越えた深いなにかを、満々とたたえて いるんだな、、。 のれんをくぐり、店の中を覗いてみた時の様に、、 外洋の水面の下を覗いてみたら、今まで見えなかったそこにすむ青達が、 ニヤリと笑ったような気がした。
 コンテツ海の深い部分、アラスカの氷河海の不思議なブルーを透明度抜群にした様な、独特の碧(みどり?)。黒潮の、パワフルなブルー。  地中海、大西洋、南極海、、。海の表面と、中、、知らない海は、どこまでも続く。  岸から遠く離れたところで待っている、外洋の、そんな青達。  きっと、それぞれに、違うのだろう、、。  
 僕の数m横の2頭のイルカは、しばらく僕の方を見ていたけれど、水面には浮上せず、海の深みに向かって消えて行ったのが、海の神秘を掻き立てました。          
  2日前に、もう一人のけんちゃん”と会ったラクルーズに帰って来ました。 ここでは、メールでしか知らなかった、木下さん御夫妻ともやっとお会い出来 日本艇3艇が集っています。 今回、コスタリカまで下りるのを止め、パラダイスに戻り、もう一人のけんちゃん に仕事の可能性を聞いてみて、ビザのきれる3/6までにメキシコを離れ、マルケサスに向かうか、1年働いてみるか、決めなければと考えています。 ここでは労働ビザも、アメリカよりかなり取りやすいとのことで、さあ、どうしよう と、家族で毎日、ああでもないこうでもないと、話は四方に飛びっぱなしです。
  1年いたら、ゆうみも帰ったら、中学二年になり、大きくなりすぎと言う事、 しかし本人は、友達とも会いたいけど、ここで、シーライオン等、動物の世話の見習いをやらせてもらえそうなので、1年滞在してみたいきもちもあり、、。
  問題は、仕事が有るか、、と言う事も”ですが、そんな色んな絡みで、とりあえず、 けんちゃんによく相談してから、どちらにせよ、決断しなければなりません。

  > クルー全員がメキシコ各地を堪能してるようで、次はワニ情報を
  > 待ちましょう。 アラスカで、熊が、民家のすぐ下の川や、入江の草地に当たり前の様にいた様に、 とまではいきませんでしたが、砂浜に流れ込む小さな沼の様な川で3mくらいのワニを飼って見せ物にしていました。しかし、特別、オリの様なものはなく、こんなんで いいんか!?とはおもいましたが、、、。
  パラダイスから、20時間くらい走った、テナカティータと言う入江に、噂を聞いて 立ち寄ったのですが、そこは、野生のワニが見れると、とても楽しみにしていた場所 でした。 海に流れ込む小さな川を、自分の船外機付きディンキーでさかのぼる事1時間。 川は、ふつう、地面を流れるものと思っていましたが、そこはマングローブの根っこ の間を水が流れ、それなりにおもしろかったです。 ワニが居るというラグーンまで、マングローブのトンネルをくぐり、行ってみましたが、残念ながらワニは見れませんでしたが、ジャングルの川は、初めての経験で、観光地ではない、ローカルな楽しみを満喫出来ました。
                              2002.2/23受信

エンセナダ

サンディエゴの鈴木さん、こんにちは。 メールありがとうございました。去年の今頃はかわいいハロウィンのメールを送って 頂いたのを思い出します。 今回は、本当に訳ありでサンディエゴを飛び越え、メキシコに来る事になり、お会い 出来ず残念です。 インターネットの接続の件について色々アドバイスありがとうございます。 メキシコからの国際電話は、本当に高いですね!!驚いています。アメリカ、カナダ では、安くて驚きましたが、、、。 > こんにちは、サンディエゴの鈴木です。 > > せっかく近くにいるのにお会いできない事が残念です。 > さてインターネット接続の件の件です。 > 1.メキシコ←→US(San Diego)の電話代は非常に高いです。距離は近いですが日本に > かける方が安いくらいです。メキシコ国内のアクセスポイントを探した方が良いと思 > います。 > >> 専用の回線で、家が必要なのは普通の電話等の回線なんですが、どこのインターネッ >> トカフェも同じようで、コンピューターの持ち込みはできる様ですが、家のより線が >> 大きく(コンピューター専用)使えません。 > > 3.それは多分Etherではないでしょうか?アメリカもほとんど Etherで接続していま > す。あまりモデム回線は使いません。山下さんのiBookにもモデムポートの横に > Etherのポートがついていると思います。ただし Etherの場合接続するインターネッ > トカフェのインターネット設定に従わなくてはなりません。アメリカでは DHCPと言 > う物の設定が普通ですが、ちょっとメキシコははっきりわかりません。言語が違うか > もしれません。インターネットカフェではもちろんその設定を教えてくれるはずです。 はい。i-bookにモデムポートの横に少し大きい接続ができる所が付いています。 設定をしなくてはいけない様ですが、設定方法をインターネットカフェで教えてくれ るのでしょうか、、、?私が行ったカフェでは、マックは珍しい様でした。それから 私達のは日本語なので、カフェの方が設定出来るかな、、、と気になります。 今の所、迷惑になりにくいタイミングに??、ハーバーでつながせて頂けるので助かっ ていますが、どうしても回数は少なめになります、。 ここを出港したら、しばらくメールの接続は出来ないと思いますが、又、新しく設定 をする必要がでて来たら、設定をしたいと思います。なんともコンピューターは良く 分らないので、、。 > > エンセナダはとても綺麗で良いところと聞いております。楽しんで下さい。 > それでは。 綺麗な所、と言われると、、少し困ってしまいますが、、、。まだ港の中と、歩いて 行ける範囲の町並みしか見て無いので、、、。綺麗なのは(海)きっとここから出て 行った所だと思います。でも陽気な所ではあります。 今月末迄、このハーバーにいる予定です。早い物でもう一ヶ月も過ぎ、のんびり過ご しています。  

                                 優子  
2001.10/18受信

懐かしのランゲルでの、ポート(港)レート

島情報をありがとうございます。

> 戦艦バウンティー号の氾濫(映画にもなりました)で有名なピトケアン島や巨大なモ
> アイ像で有名なイースター島はどうですか。 ピトケアン島はタヒチから東1351
> マイル

 バウンティーも、イースター(ラパヌイ)も、映画見ました。 いずれも、遠くの島を舞台にした映画は、独特の雰囲気があり、 その付近の海域が目の前という現実が、夢のようでもあり、 又、淋しくもあります。 (いつまでも遠い島であってほしい部分があるのでしょうか?) ピトケアン島、、昔、「クジラ」という雑誌で、いい記事が乗っていました。 泊地が良くないッスよね、、。ロマンチックですが、、。 これからも、船長、皆様、エピソードのおもしろい、いわく付きの島、 誰も書かなかった南の島、忘れられた美しくも素朴な島。あなたの夢の島。 南の島に関するエピソード、、、アラスカばかり気にしていたオリハルコンに、 御指導を宜しくお願い致します。 今後の予定ですが、ポリネシアのハリケーンの終わる4月には、コスタリカ 又はメキシコを出港し、渡りをかけること。 次は無人島から、マザトランという街。 マルケサス、ツアモツ、ソサエティー、それいがいは未定です。 では、失礼致します。                       

                          ”オリハルコン” 山下 健一  

 2001.12/11受信

 

皆さんこんにちは。 なかなかLa Pazを出港できないオリハルコンです。  日本からの嬉しい荷物、本数冊、日本食などを無事受け取ることができ、そろそろ 出港、、、と思っているとその日北風が強く、ポートキャプテンなどは、船が出港す ると危ないのでチェックアウトの手続きをしてくれないとのこと。今までは風が強く ても次の日にはもちなおしていたのですが、今回は3日ほど続き、風が落ち着いたと 思ったら土日になり(ポートキャプテンなどはお休み)、、、10日の月曜にできれ ば、、、と思っていますが、又この後強い北風が吹くらしいので、それが終わって出 港したら、、、という声もあり、その日になってみないとはっきりわかりません。 早いものでLa Pazの滞在も3週間程になります。長くなってしましたが、やっとどこ にどんなお店があり、安いのはどこか、、、などがわかる様になってき始めた気がし ます。先日ここで知り合った船(アラスカの)からあそこのレストランは安くておい しいよ、と聞いていたので行ってみると、家族4人(炭で焼いたお肉をトルタに野菜 など自分の好きな様にいれ食べる)、ジュースも頼んで100ペソくらい(1400¥) でお腹一杯になりました。お肉と野菜果物を売っている市場にには、ぶたの頭はもち ろん(スーパーでも豚は置いてる)、牛の頭も置いてありました。子供が吃驚するか な、、と思ったのですが、そうでもなく少し拍子抜け、、、。 牛肉のヒレを500・位買って、27ペソ(400円位)、ちょっと本当にヒレかな、 、、と疑問はありましたが、帰って焼いてみるとおいしかったです。 買い物の仕方で、食費は安く済みそうです。  それから、鳥取大学の方達とお会いし、こちらに研究所があるらしく、約1ッヶ月 くらいの周期で先生、生徒さんが入れ代わり来られているそうです。先日先生達のお 借りしているお宅にお邪魔し、日本のお米でカレーをごちそうになりました。日本の お米はもういつから食べてないだろー、やはり艶があって全然違いますね、、、。 子供達も、お姉ちゃん達に沢山遊んでもらい、皆で楽しい時を過ごすことができまし た。  少し長い滞在で、又いろんな出会い、発見(?)があり、楽しかったです。
 
オリハルコン  優子

                2001.12/11受信

 

「エンセナダ-ラバズ航海日記」

『出港』 10/26
 もうすぐ、ここエンセナダも出港だ。 体調はまだほんの少し悪いが、全然大したことはない。出港したくない病”、、? ここは、別に何と言うことはないけど、なんかおもしろかった。 なーんか、なごり惜しいのだ。なんでだろー、、。 ここでは、日本を出て初めて、運動を日課に入れた。 ゆうみも碧も、はじめはドン臭かったのが、格段に運動能力がもどった。 あーあ、、又出港だ。又思いっきり寝れなくなる。 感動の旅の次に魅力的なのは、僕にとってはグウタラの生活なのかな、、。 今日、出港準備で、ポートキャプテンに行った。そしたら、イミグレにもいかんと行 かんようだし、思ったよりめんどくさい。 出港予定が日曜だったので、手続きじょう、月曜に延ばした。 1日延ばすだけで、何か、学校をずる休み出来ることになった様な充実感。 ここも、予定では後2日でさよならだ。 ハーバーの人も、みな良い人だったな、、。 まあ、とにかく思いきって、えいっ!!と出てしまうのが一番だろう。 しかし、ちゃんとセーリングできるかな??、、とにかく、出よう、、、。
  11/20 早いな〜。後10日で12月だぜ。 昨年は、アラスカのビルさんとこでホームシッターだった。 寒かったよな〜。 『2つのベイ』 昨日、ラパズに着いた。ついにラパズに着いた。 エンセナダからカボまでは、今までとは違う、初めての海と泊地って感じ。 海は、思ったよりずっと風が強く、波もあった。そんな中、日夜走ってクインシンヘ。 ここは、無人のワイルドベイ。アラスカやカナダとは大違いで、ただの岬の陰。 湾は大きく、奥までは数マイルもあるのに途中からは浅く、奥へはいけない。 外洋からの波は入らないけど、風は奥から、うねりは後ろからで、200メートル奥 の浅い砂州では、そこだけ感覚を狂わす様な変な波が躍り上がり、思わず目が釘ずけ になる。頭の狂った野犬が、空に牙をふりかざしているような波、、。 西側の半島の外は外洋だ。その半島は、完全な砂の山。まるでホイップクリームのデ コレーションの様な、砂山のシルエットの連なり。 上陸して、そんな頂きで子供とはしゃぎたかったが、テンダーで漕いでいくには、風 が問題だ。とても魅力的な土地がすぐ左に連なっているのに、、。 アラスカで、深い入江を廻り過ぎたのか、、 こんなに開いた湾でのアンカーリングは、とても心がスースーする。 ちょっと流されたら、もう遭難だ、、。 陸と船の、150メートル位の距離は真剣勝負。緊張感であふれている。 テンダーを母船と長いロープで結び、どのくらい漕げるかやってみた。 風と無数の小波で、流されない様にするだけでもうくたくただ。 風が緩くなっても、しばらくしたら又吹き始めたりで、あなどれない。 結局次の日も上陸出来ず、あきらめて出港することにした。 二晩ここで過ごし、夜中に錨をあげた。 その間、キャビンから上半身を出して、湾のまん中の波を飽きずによく眺めた。 湾のまん中で、頭の狂った犬が空に噛み付いているような波、、。 海図とGPSによれば、浅い所は、もう少し奥のはず、、。 左舷側には、生命有る身で時間の物差を当てようとすると、自分のからだが、魔法で 干涸びた土に変えられそうな、、生命のサイクルとは対極の場所。 エンドレスの時間がそこに有る様な、、。タロットカードの、挿絵の様な世界。 僕は、有る印象的な映画が心の中で蘇った。 それは、リメイク版の映画、エクソシスト”。 映画(ビデオ)で感じた空気の臭いって、こんな感じ? イスラエルかどっかの砂漠地帯の、遺跡の発掘現場の太陽と、そのシーンだけで全て を表現した様な、オープニングの不毛の大地での野犬の争い。 この岬の陰、さっきまで数隻の船が錨を下ろしていたのに、 申し合わせたように、みな出て行って、又一隻になってしまった。 もしかしてハリケーンや、南風の嵐が近づいたりしているのでは、、、。 漁船や、他の船は、あわただしく大声で何やら言葉をかわし、みな居なくなったが、 その言葉は、僕らには解らなかった。 風はだんだん腰が強くなり、さっきから15メートル弱、吹いている。 低い雲がどんどん飛んでいき、大きな月が、不気味に雲を蹴散らして疾走する。 「エクソシストベイ、、。」この湾を僕は心の中でそう名づけた。 今は10月の末。メキシコのハリケーンシーズンはちょうど終わった頃。 家族を背負った責任が、胸の中で鉛の様に重い石になったようで、胸が少し苦しい。 ・・・いやいや、そんなはずは無い。季節遅れのハリケーンが発生しても、エンセナ ダからまだ近いここは、その影響の範囲外のはず。 来たとしても、それほどの破壊力は無いはずだ。 いざとなったら、風が南になる前に、うまく外海に逃げ出すことはできる。 たびたびバロメーターの針をチェックしながら、大丈夫とは思いつつ、そんなシュミ レーションを準備する。 エクソシストベイ、、。生命のスープの様なアラスカの海があるんだから、 それに対極する、こんな場所が有っても当然だよな、、。 そんなクインシンを出て、タートルベイからさらに41時間、 その名も「サンタマリアベイ」についた。 ここは、聖なるマリア様のベイ。名前をきいただけで、もう安心だ! 『バハ・ハハの人達と』 タートルベイから、バハ・ハハ”の人達と、一緒だ。 はじめて、多くのヨット達と一緒に走る。 サンタマリアベイは、これ又上陸がおもしろそうな場所。 しかししかし、、またまた、ブレイクする波で、上陸を何度もあきらめた。 とても魅力的な砂丘と砂浜を前に涙を飲んだ。 バハハハの人達と、親しくなった。 ビーチパーティーに呼んでくれたり、楽しい時を過ごした。 無人のサンタマリアベイが、ヨットのマスト灯で、1つの街が出来上がった様に見え る。 ヨットの数は、なんと、バハハハ艇だけで130〜150。 タートルベイからここまで、約240マイル。一番早い船は、55・の最新カタマラ ンで、何と、24時間で着いたという。 (平均で10kt!風の無い時もあったのに、、最高速は!???) いかにもカスタム外洋レーサークルーザーって感じの、レイバン”は64・で、32 時間。オリハルコンは、41時間でフィニッシュ。遅い船は2日半。船はだいたい4 0〜50・代、一番小さい船で28・。 レイバンは、大きなネイティブのレイバンの旗をあげている。折り紙で、太陽をくわ えたレイバンをおり、プレゼントした。 オリハルコンが着いた時は、湾にはもう街が出来上がっていて残念。 オリハルコンは正式にエントリーして無いし、ぼくはレースは素人なので、 スタート時間を15分過ぎてアンカーをあげ、(実は寝坊)スタートラインに急いだ が、風がなくなり、フリートはもう水平線に近い所で、スピンの花盛り。 それでも夜は、水平線の向こうの船までジリジリと、前に見える航海灯は全部追い抜 いた。(トップ集団は遥か彼方でみえない) しかし、強めの追い風の夜は、結構な波の中、フルセールでマストをメトロノームの 様に大きく振りながせまる一隻と競り合うも、それ以上スピードを出すのにビビった 僕は、ついに抜きかえされた。 翌朝は風が横やや前に廻り、オリハルコンの風。水平線の向こうに現れる、見える船 は全部追い抜いた。 そこで気を抜いて、セールをリーフしてオートパイロットに舵を任せ、眠っている間 に風が後ろに廻り、落ちた間にスピンをあげた軍団に抜き返され、ゆうみに起こされ る。 オリハルコンも、練習だ〜!と、慣れぬジェネカーをあげ、1つ前の船の横へ列ぶ。 しかし、あれよあれよという間にまた風が上がる。周りの小さかった白波が、少しず つ大きくなって来た。こうなると、スピンを降ろした方がまけだ。スポーツ的に無理 をして頑張ったが、自分にとっては冷や汗脂汗、、やせ我慢の見栄張り大会だ、、。 となりの船がスピンを下ろし始めた、、。前の船はスピンがフォアステイに巻き付い て、ちょうちん”になっている。 横の船が、完全に後ろになるまで頑張るも、ブローが入るとオリハルコンは狂犬 のように切り上がり、ハラハラドキドキ!見栄とジェネカーを張って走る。(操船は、 ゆうみと2人。降ろす時は大変で、風に強くはためいたジェネカーがソックスに入ら ず、苦戦!。女房に手伝ってもらい、なんとか撤収。) フィニッシュラインに近づくと、波も高くなって来た。 夜10時、ラインを切る。 感想として、強めの追い風は、大きな重い船も結構走るんだな、、。 もっと前を走るって、大変だな〜。スポーツとして練習しなきゃあんな走りは出来な いな、、。オリハルコンを中風の追い風でプッシュして走らせる技術の有る人ならもっ と前を走れただろう。自分は安全(チキン)な走りはできても、あんな走りは出来な い。 日本に帰り着いたら、少しずつ練習してみたい。 航海中は、あんな走りはするつもりは無い。 楽しいけど、240マイルは眠かった。 しかし、平均10ktで走り続けるトップ集団って、どんな世界なんだろう、、。 単独世界一周レースの人達って、こんな感じで走らせて世界をまわるって事?? さあ、これからはまた、走り方を元に戻し、痛めない走りでいこう! その後、サンルーカス、ロスフライレス、ラパズと、楽しい人達と、一緒だった。

『ラパズ』 12/5
 ラパズで、無事荷物も受け取り、ここではテッコンドウの道場を見つけた。 あおゆきにとっては二回目の道場で、初めて組手もやらしてもらい、とてもよかった。 ここでは、みすずさんという日本人と知り合った。御主人はマイクさんで、イギリス 人のサーベイやー。年はあまり変わらないが、潮ッ気ある昔気質。何かとお世話になっ た。 それから、鳥取大学の博士一行とも知り合った。中華料理を食べに連れてってもらっ たり、楽しい人達だった。 もうすぐここも出港のはずが、天気が悪く、ポートキャプテンがチェックアウトさせ てくれないし、マイクさんも、今はまだ出るなというので、のんびりすることにした。 昨日、サイコーに旨い、シーフードの店を見つけた。 壁には大きく、マリスコス!と書いている。 ようやく女房の許しが出て、今日はマリスコス(生の貝)が食べられる! その店は、空き地にテントがはってあるだけの店。 こんなのでも、腕が良ければ、はやるんだな、、、。店の人達は、料理の天才だ!自 分の腕で、こんなに人が喜んで、それが仕事にできるなんて、、最高の人生だ。こっ ちまで幸せになってしまった。 ここは、そんな店が結構ある。そして、旨くて、とにかく安い。 でも店にはいり、上を見たら屋根がなかったりする。 大食いのぼくと、家族で腹一杯食べ、ドリンクも飲んでチップも含めて、1300円 弱! これなら遠くまで買い物にいって自炊するのより、安い!?? 12/9 今日は、鳥取大学の方達ととても楽しいひとときを過ごさせてもらった。 焼き芋や、ここでは貴重な日本のカレーをごちそうになり、うまかった、、。 ゆうみ達も、お姉ちゃん達から、ずっと遊んでもらって幸せそうだった。 美鈴さんたちにも、おいしい手料理をごちそうになったり、何かとお世話になった。 ようやく北風が収まったが、又、きつい高気圧の吹き出しが始まるという。 このあたりの北風はなめられないとのこと。しかし、そんなこといってたら、いつま でたっても出られない。風は、強いとはいっても、案外大したことはなく、せいぜい 13メートル/秒くらいだが?、海が浅く潮があるので、ここで4〜5年船で暮らし ている美鈴さん達のいうことを素直に聞いておこう。 この辺の北風の事を、サンタ・アナといい、それが強吹したら波長の短い波も手伝い、 ひどい目に会うとのこと。エリカ号も、その風に会い、コンテツ海北上を諦めている。 明日は、ポートキャプテンなど、手続きに半日。買い物、メール等、忙しくなる。 しかし、すぐ天気が崩れ、出港できなくなれば、もうのんびり行こう、、、。               ”オリハルコン” 山下 健一   kens-sea@d7.dion.ne.jp >>>>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「優美ちゃんからのメール」

こんにちは、皆さん。寒い冬はどうですか?私達の冬は日本で言うと、夏の少し寒い時の様な感じです。  南の海の白くきれいな砂の上には「エイ」がいます。陸には、小さな木や草。大き な木はありません。その代わり、大きなトゲを生やした「サボテン」があります。大きいサボテンがあるかと思えば、けったくりそうな小さな「サボテン」。「けったくったらいたそー。」とよく思います。そんな情報をいくつか書きます。 ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー

 情報・ 「バランドラ」
  バランドラという入江にいた時の事です。バランドラはとてもきれいです。絵葉書のとおりでした。白い砂浜がつずいています。水もとても透き通っていました。水の中を歩く時、とても用心して歩いていました。(私だけかもしれないけど。) なぜならここの入江のとなりの「ロボス」と言うところで、何匹か「エイ」を見たからです。「エイ」に刺されるとけっこういたいと言っていたからです。  私と、あおゆきと、お父さんはこっち側の砂浜から向こう側の砂浜に行こうと思い ました。浅い水なので歩いて行けます。その砂浜から砂浜をつなぐ海は、ビーチの近くの優しい感じの色ではなく少し気味が悪い海水の色でした。お母さんはお弁当を作りに*<オリハルコン>に帰りました。半分くらい海水の中を歩くと、中くらいの石 がゴロゴロしていました。小さな海草が生えていました。「オコゼ」がいるんじゃないのかとビクビクです。なんだかまた少し気味が悪く感じました。 私は「ここ気味が悪いから少し遠回りだけどさけて行こう。」と言いました。 その時のは私はその気味の悪いところにできるだけ近づきたくなかったのです。 後砂浜まで大股5〜7歩(私の大股で。)というとこです。そう思っていた時、お父さんが急に「イテッ!!」と悲鳴をあげました。どうしたのかとお父さんを振り返る と、お父さんは、いたそうに「足刀」の辺を見ています。そして、「クッソ−!何か に刺されたっ。いって−。」とわめいていました。(たぶん「エイ」だと思った。) 私、あおゆき、お父さんは、まだ水の中にいました。 あおゆきは「大丈夫?」とか「いたい?」とか(痛いに決まってるだろ。顔見てわからない?普通、。)私は思いました。「どのへん刺されたん?」とか沢山お父さんに聞いています。(今それどころじゃないのが顔を見てわからないかな〜。)私はまた思いました。 まだその辺に他の「エイ」がいるかもしれないと思った私は、ひょこひょこ歩き回る あおゆきと痛がるお父さんに「早く砂浜に上がろ。早く。」と何度か言いました。あおは、まだひょこひょこやってます。お父さんはいたくてすぐに動けそうじゃなさそうです。ちょっとしてから2人とも来ました。 お父さんは砂浜にすわりました。傷口から血が出ていました。私の心臓はドクドクでした。お父さんが「なんかすごい勢いで刺された。ブスッ!!て。何か、ナイフでグサッてやられたみたい、、。」と言いました。私はそれならやはり「エイ」だろう。 と思いました。お父さんが「悪いけど、帰ろう。」と言いました。お父さんが何か気合いの様なものを入れたのが分かった様な気がしました。そしてお父さんがそう とう痛いというのがもっと伝わってきました。そして波打ちぎわまで来ると、いきなり「ゆうみ乗れ」とお父さんは、しゃがんで、海の中おんぶをしてくれました。私は また、本当に本当に痛いんだ。って思いました。あおゆきは砂浜で待ってろと言われて待っています。私はおんぶしてもらったまま、あおゆきに「水の中に入るなよ!」 と言いました。  私は有毒の図鑑にのっていた「エイ」の事を思いました。それには、死亡例があったことを思い出しました。私の心臓は不安を感じました。私はお父さんに砂浜に着いたら<オリハルコン>に近い海岸まで行ってお母さんを叫んでみるね。と言いました。お父さんは何も答えませんでした。  私はお母さんに言いに行きました。声が届くと良いけど、、。<オリハルコン>の 近くに行くのは遠かったです。でも、走りました。そして叫びました。 「おかーさん、おかーさん!!」すると「はーい」と返事が帰ってきました。「お父さんが何かにさされたー!速く来て−!」お母さんがゴムボートに乗って私のとこに来て私を乗せてくれました。 お母さんは急いだので靴をはいていませんでした。お父さんはもうあおゆきをおんぶして砂浜に着いていました。  刺されてから2日間苦しがっていました。船はバランドラから30分離れた、風が吹いても安全なロボスの入江に帰り、また錨を入れました。 2日目は40℃以上の熱が出ました。 南国のメキシコで、沢山かかったふとんの中で、寒気にギリギリたえられるそうです。 お母さんを湯たんぽがわりにして寝た時、お母さんが「ワラビモチ」くらい冷たく感 じたそうです。 今は大丈夫です。         お父さんは刺された日40度〜50度くらいのお湯に30分〜90分足をつけているとかなり楽になった様です。毒をしぼり出したあと、薬は、マムシにかまれた時使うのと同じものを塗りました。 *<オリハルコン>=私達の乗っているヨットの名前
P.S.2匹の赤ちゃんマンタ(オニイトマキエイ)が波打ち際に打ち上げられ死んでい ました。 ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*

情報・  「日記」
  11月4日  題「楽しい思い出が又私の心に強く残りました」 今まで動物を見て楽しい時は、いぱっいありました。でも今日のは、今までのより、 もっともっと私にしては強く楽しい心に残ること事が起ったのです。それは、イルカ です。そう、イルカ達が遊びに来てくれたのです。それはもう、わ−っと思う様な感 じでした。  それは、10頭ほどのイルカがいると思えば、少し遠くに他の10頭位のグループ が見えた。初めは、そうビックリしなかった。でもすんごかった!!百頭くらいのイ ルカ皆でジャンプしているのだ。しかもこっちに向かって来るのだ。左右に広がるイ ルカの群れは、海が見えなくなるほどだった。ビックリだった。  でもすぐ消えてしまった。ビデオカメラも、カメラも持って来れなかった。  私とお父さんは、外に出ていたけれど、お母さんとあおゆきは、見れたとしても、 しっかりと、ゆっくリと見れたのだろうか。私の様に。イルカ達が行ってしまってか ら私は、「すごかったね!あんなの初めて。ビックリした−。皆がジャンプしてたね。 すごっく感動したよ!イルカ達はどこへ行くのかな、、、。なんかイルカ達楽しそう だったね。でも急いでいたね。」父「バハ・ハ・ハレースでもやってたんじゃないの か。」(私達は今バハ・ハ・ハのレースに参加中)私「ハハハ。そうかもね。ハハハ ハ。」私「他のバハ・ハ・ハの人もあのすごく楽しそうなイルカ達を見たのかな、、 。」「どうかな〜。」お父さんは舵を持ちながたら言った。     今日の事は、一生忘れないかもしれない。    どっちにしても、長いことは、忘れないだろう。 −*−*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー

情報・  「日記」
  12月20日  題「Sea lionとSwimming!!」  場所「Sea lion rock」 (シーライオンとスイミング!!) (シーライオンロック)(シ−ライオン=アシ カ) 楽しいこと。今日も動物。初めてみる沢山のSealion。あっちもこっちのも、Sealion。  大きいのや小さいかわいいSealion。  小さいのが10匹(「頭」?小さくてかわいいから「匹」っていちゃう。)くらい で遊んでる。お父さんが「シュノーケル」を着けたまま「オウッオウッ!」と言う。  お父さんと、あおゆきはSealionに近づく。Sealionもお父さんとあおゆきに近づい て来る。私とお母さんはちょっとはなれた所で待っている。すると、私とお母さんは 近くでSealionを見た。ビックリした。だって大−きいんだモン!さっそくいかくさ れたかと、二人とも少し後づさり。ウ−ッ。スケヤリ−!それから私はSealionに近 づくのが、少しこわくなった。でもお父さんたちが遊んでいるのは小さくてかわいい 子達なのに、、。それでも少しこわい、、、。お父さんが私の手をつかんで、 Sealionのいる所に連れて行く。こわいよ、、。て思ったけど近づくとかわいかった! でも私はビクビクしているから、Sealionも「あっ、この子はあまり遊び好きじゃな さそうだな。」って思っているみたいだから主にお父さんと遊んでいる様だった。で も私はあおゆきみたいに遊んでいないけど、楽しかった。Sealionは、さわれるくら いの所まで近づいてきた。あおゆきは近くに来たSealionのシッポをタッチ!私は水 の中からそのことを見た。あおは水の中から顔を出した。あおゆきは大喜びで「ママ −!ぼ、ぼくSealionのシッポさわったよ−!」と言った。私は、ほんのチョッピリ ほんの一瞬うらやましかった様な気がする。私はけっこう「あまのじゃく」なので、 「そ−。よかったねー。」と意地悪ぽい顔であおゆきを見た。でも、あおゆきが何度 もそのことを話すので、私は、「よかったね。」って少し優しい感じで何度か言った。 いつもより「あまのじゃく」じゃなかった。  あおゆきはかなり好奇心が強い。シッポをさわってからだ。私はお父さんにくっつ きまとう。お父さんは、「つかまりすぎだ」と、私の手をどける。私は手を放して も、数秒するとまたつかむ。お父さんが「これじゃあ動けない。」と言う。私はかな りビクビクしているようだ。寒くもないのに身体が、ガタガタふるえる。  あおゆきは、私と違って2、3mお父さんからはなれてSealionの所に遊びに行く。 手をのばして、「まってまって−」という感じで追いかけて遊んでいる。私はすごい なーと思う。あおゆきが遊んでいるのを見るとかわいらしい。(それに比べて私は、 、。)  こんなにビクビクしている私も楽しかったです。本当に。         楽しい1日をありがとう。        ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー*ー

 今までの航海では動物を見た時の楽しかった事。動物を見て感激した事。日本とは違うすごい自然を見たりして日本と違うな−、すごいと思うこと。お父さんが「エイ」に刺されて不安になった事、色々ありました。     私はこの航海で「ドッキンドッキン」「ワクワク」を体験して行きます。
  Yumi Yamashita <Oric Halcum> Yumi Yamasita 
 動物の好きな私は、色々な動物に出会いました。シャチやイルカ、、。  特にシャチがお気に入り。                                            優  美   <オリハルコン>の小さなクルー  山下 優美 

「山下健一さんからのメール」
  <父から一言。>
  この航海でも、何度か、自然の中でミスの許されない状況がありましたが、今回はその中のいくつかを子供と見つめ、対処してきました。 台風3号、アリュウシャンの嵐、星野道夫さんの愛した、アラスカの秘密の入江?(赤い絶壁の入江)入港の時も、凄い風と風下の暗礁で、ミスは許されなかったり、、。 しかし危険とは、そんな大袈裟な所ばかりにあるんじゃあないですね、、。 平和なデッキの上。平和そうな砂浜、、。そして自分の心の中、、。 つい大人は、派手な嵐の操船技術や、岩壁の登山の技術や知識、競技、そんなとこに目や感心がいってしまいます。 しかし、それらよりはやはり、素直さや、危険を察知する等の感性”が一番大切、、。 その感性を大切に、自然の中へ入ること。それは技術でなく、ハートを磨く事。 (技術はハートの後に付いて来る) 今回のゆうみの判断、行動は、小さいながら、よくやってくれました。 これまでも、危険がまじかにある時等は、自分の判断で大人顔負けに 動いたりします。(親バカですが、認める所は認めたい) 僕も、エイの事は気にしてはいましたが、刺されたのが僕だったのはホント神に感謝し、同時に反省しなければいけません。  
 〜 今は、うちのディンキー(上陸用のゴムボート)も、最近付けた小さな船外機をまわし、ゆうみが主に操縦し、弟の安全をヘルプします。 カボサンルーカスを出て、岬の陰にアンカリングして、ウニを採りに泳ぎましたが、 お互い足ヒレをつけて泳ぎ、ゆうみが僕より速く泳げる様になっていた!! のは驚きました。 本人の憧れ(ライバル?)といっていた、「七つの海のティコ」 の主人公の少女に、大きく一歩近づいた様な、、。 小さいけれど”、よく頑張るクルーです。 かと言って、何が起るか解らないのが海。 これからも、そんな感性とハートを太平洋で磨いてもらいながら、 (技術や勉強もやらなければ、、、) 親子で無事日本を目指します。 皆さん、応援を宜しく! 今日の添付は、僕がエイに刺された「Balandora」の絵葉書をスキャナしたものです。 (実際は、とても透明感のあるブルーでした) 昼はここに錨を入れて遊び、夜は北風が強く吹くので安全な入江に帰りました。
(葉書の上側が北、シーライオンロックのある無人島は、ここから北へ2時間ほどいっ た所です。)    

 

 

 

「山下優子さんからのメール」

さんもう今年もわずかになり、忙しい毎日をお過ごしのことと思います。 私達も皆元気に、楽しい旅を続けています。12月に入り、北風が強く吹く日が多く なりました(1週間の内良い天気が2日くらい?)。 La Pazを出て、きれいな遠浅の海等きれいな海で遊びました。 ここコンテツ海の海の色は、太平洋とは全然違います。少し緑色の、透明なきれいな 海です。コンテツ海に来た目的の1つに、先輩セーラーの、鹿児島のあおいちゃんち から聞いていた、Sea Lion Rock に行ってSea Lionと一緒に泳ぐ!というのがありま した。 でも泳ぐには少し寒いかな、、、とか他の人から「アンカリングしていて、アンカー が岩にかかって回収できなくなった人もいる」とか 「行ったけどSea Lionはあまり居なかった」様な話も聞き、行こうかどうしようかと 少し迷いましたが、初志貫徹という事で行ってきました。行ってみると、Sea Lionの 声が沢山聞こえてきて、沢山のSea Lionが目に入りました。ダイビングのお客を乗せ たボートなどが既に来ていました(もう帰る準備をしていた)。 私達がアンカーを入れ終わると、二人乗りのカヌーが寄ってきて「泳ぎたいのでカヌー を舫わせてくれ」と、アメリカの50代後半のカップルで、La Pazから船で来て今日 はどこか入江に行き、ビーチで二人でキャンプし、翌日迎えの船が来るそうです。 すごいな!カヌーで来てキャンプするのか!と思いました。
私達が泳ぐ準備をしている間に、カヌーの二人は一泳ぎ、主人が「おじさんSea Lion と泳いどる!!」と、二人が上がってきたので、どうだったか聞いてみると「初 めSea Lionが顔のすぐ近くに来て吃驚したけど、とても素晴しかった!」と、危なく ないかと聞くと「大丈夫!でも大きな雄のSea Lionが近くに来て泡をはいたら、下が りなさい」と教えてくれました。 さあいよいよ私達も海に入り、Sea Lionのいる方に泳いで行く、、、岩の近くまで行 くとかわいいのが何頭か来てくれ、主人が潜ったりするとSea Lionも喜んで、一緒に 遊んでいる様でした。私の近くにも来て、あたる!と思って避けるほどです、碧は近 くに来た時避けるどころか、触りたいので手を延ばしシッポが触れたらしく、碧はも う大喜び!泳ぎの得意でない私も、Sea Lionともっと一緒に泳ぎたいので、Sea Lion の後を付いてもぐったりすると、また来て私の近くでクルクルと廻ったりしてくれま した。本当にSea Lionと一緒になんて泳げるのかな、、、と初め思っていましたが、 何頭ものSea Lionと泳ぐ事ができました。天気もその日だけは北風も吹かずとても良 かったので、そんなに寒くなく。とても楽しい一日を過ごしました。 今は、Mazatlanに向かう途中の入江で書いています。クリスマスが終わってか らMazatlan入りになりそうです。 Mazatlan は物価が安いと聞いているので、食料なども多めに仕入れようと思ってい ます(フレンチポリネシアの方は物価が高い様なので)。滞在は2週間ぐらいになる かもしれません(ここでもほとんどアンカリングになると思います)。 日本は寒い毎日の事と思います。皆さんお体に気を付けられ、よい年をお迎え下さい。

12月22日        オリハルコン 優子