盛岡まさ子

(90歳)

1959年10月、広島県の山奥の上下町にたった四畳半の民営のユースホステルが誕生

した。

原爆で被爆した夫を助けて始めたユースホステルでは、ミーティングの時、夫の敏之さん

が、自らの体験を通して平和の尊さを語った。いまは、後身に道を譲って、自らは「平和と

人生の語り部」として全国を講演行脚に走り回っている。

それを支えているのは、嘗てユースホステルでお世話になった何千人ものとびとである。

 

   

フイリピン・レイテ島・タクロバン市マッカーサー上陸地点にて(この二人は旧知の仲)

   

終戦直後のエピソード

英語の恩師に呼ばれて軽井沢へマッカーサーを訪ねた時、夫敏之さんが

マッカーサーに頂いた肝油の瓶を投げ返したと言う。まさ子さんは「占領軍の最高司令

長官に物を投げ返したのだから、もう銃殺くらいは覚悟しまたよ。でも恩師のとりなしで

事なきを得ました。」マッカーサーに薬瓶を投げ返した行為は敵の塩を受け取らぬという

武士道の気概か大和魂か、いや原爆投下を指示した物への被害者としての抗議であっ

たろうと察し、自分も銃殺されても仕方ないと腹を括ったと話した。