1990 COLUM China Sea Race

 

セピア色の思い出・香港−マニラ・ヨットレース
1990年4月・マニラ湾(フィリピン)にて

このページの画像はやや鮮明さに欠けるところがあります。これは8mmビデオから画像を起こした故であります。


  1990年春、チャイナ・シー・レースにクルーとして同乗のチャンスを得た。

  回航屋の手によって既に香港へ回航済みのゴッコJr.を追って、オーナーとクルー全員

 が飛行機で香港へ向かった。

  ホテル前の香港・ロイヤル・ヨットクラブのバースで出発の準備をする。

 

 

     香港ロイヤルヨットクラブのクラブハウスと上架エリアである。

     クラブハウスには、レストラン、バー、会議室他がある。


       

 

  

 

  香港ロイヤルヨットラブ内にあるバーである。

  壁面上部には会員が取得した各種ヨットレースの入賞カップが展示してある。

 

 


 

  香港ロイヤルヨットクラブのヨットバースは、各艇用の桟橋は無い。
  
  アンカーリングで繋留しているヨットまで人や荷物を運ぶ渡し舟がある。

  勿論、水上生活者を年契約で雇っているようだ。

  ヨットマン側も水上生活者の側もどちらも助かるのである。

 


 

 

  ここのヨットの繋留場所には付近の住宅や店舗から生活用水が流れ込んでくる。

  中華料理店から流れてくるラードとか食用油は、流れ来たってヨットの船底に黒々と張り

付いてしまう。 

 またそれをちゃんと掃除する商売が成り立つ。 ヨット・ゴッコJr.のスターンに居る紅いゴ

ムボートの女性は、洗剤を使って水線付近に付着している汚れを掃除中である。 終了後

には、謝礼を渡すのである。

 

  


 

 

   

 

         ヨットレースに使われる巨大なマークブイと運搬するコミッティー・ボート

 

 

 


 

 

 

  

  レースの本部船。

  英国海軍の艦船である。

  前部デッキに大砲も持っている。

  国際VHFで連絡を取り合い、スタートのカウントダウンをしていた。

 

 

 

 


 

  他のヨットの帆影が見えなくなると気が緩む。 しかし、またリラックスする時でもある。

  フィリピン西海域をひたすらマニラ湾へ向かって舵を引く。
   
   夕暮れに一度行われるロールコールでライバル艇の位置を確認する。

   スタートして約5日。フィリピンの陸影を望見しながら、フィニッシュの夢をみる。

 

 マニラ湾入り口の海峡は狭い。その真中に要塞として有名なコレヒドール島がある。

  第二次世界大戦の時、日本軍が占領した。 この島に居たマッカーサー将軍は慌てふためき

 急遽部下を置いて緊急脱出した。

  「I shall return」 私は必ず帰ってくるぞ! と言う後に有名になる言葉を残した。

 

 マニラ湾の東奥、官庁街、ホテル街にも近い絶好の場所にあるマニラヨットクラブとその沖にアンカーリン

グしているヨット群。 門脇には憲兵隊のような真っ白のヘルメットを被り軍服を着た守衛がいて、銃を持っ

て警備している。

 こんな様子を見ていると、クラブ敷地内はまるで治外法権の領事館のようでもある。

 

クラブハウスの内部。 クラブレースの後、三々五々集まって、飲み喰いかつ語る。

 

 

 

 耳に優しい音量のバンドとダンサーが食欲と社交の雰囲気を高めてくれる。

  やがて読み上げられるレースの成績を待ちわびながら、食事を楽しむ。

  成績は、香港からマニラまでのロングディスタンスとマニラ湾の中での隔日行われた数

本のポイントレースの合計で表彰される。


 

 

 

 

  円形の噴水サイドに椅子テーブルをしつらえたヨットレース表彰式会場はさなが

 らパーティー会場でもある。