上海航海 Vol.5 (1985.May)

先発隊が回航しておいた長崎港へ、やっと間に合ったビザとパスポー

トを持って駆け付けた。

長崎で手続きして、出発以来4日目にして揚子江の河口へたどり着い

た。

瀬戸内海程の幅を持つ河でありながら四周に山や陸岸の影さえ見え

ないから、まるで海のど真中の様に感じられる。

出会った小型のジャンク型漁船に上海カニをもらった。

河口の検疫錨地というエリアから、水先案内人が乗りこんできた。

揚子江を遡行する事8時間で、やっと海岸に建物や停泊中の貨物

船が見えてきた。

ところがここは、揚子江から上海市街地へ繋がる黄浦江への入り

口である呉淞口という所だった。

上海市街までさらに5時間の行程が待っていた。

大型客船や貨物船、渡船や5重連の筏船、帆走するジャンクが渾

然一体となり走りまわり、一見無秩序に見えてそれでいて衝突事

故も無く、うまく共存していた。

上海の市街地が見えてきた。

ウナギの寝床のようにウネウネと果てしなくうねる黄浦江は昔から

物資輸送に無くてはならない運河である。

日中国交が回復して以来、否歴史始まって以来、ここにヨットを乗

り入れた日本人は、我々を含んで過去に3例しか無かった。

停泊していた中国人民軍の艦艇の側を通過し、荷役中のソビエト

の貨物船の横を通り、通勤人を満載して対岸の工場へと黄浦江

を横切る通勤の渡船に乗った多くの人々の目に優しく見えるように、

船尾に日の丸を掲揚した。

ビザ取得に必要な条件とされた中国からの招聘状を送ってくれた

上海体育学院の人達の出迎えを受けて記念撮影。

中国ではヨットの事を快艇(クァイティン)と言うそうだが、上海快艇

倶楽部の桟橋に、透明度ゼロの黄浦江の水深を気にしながら、恐

る恐る横付して、1/125秒だけの笑顔でVサイン。

山はおろか丘陵さえ見当たらない揚子江の扇状地の上に作られた

上海の町は、地表を舐めるように、時に強い風が吹く。

敬意を表して、マストに高くへんぽんと翻る鯉幟と中国の国旗、五星

紅旗(ウーシンフォンチー)。

 航海を成し遂げた自信と誇りを託して、スターン(船尾)低く掲げた

日章旗を心から美しいと思った。