第155〜175話  

 

  

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海・千夜一話物語 第155話

   「ワッ! 黒ヒゲ船長、来る」

 平成8年7月23日 暑い日だった。20日の集金を今頃思い出したように

しているのどかな一日の始まりは、サテンドールからの電話であった。

初回は香川県三豊郡三崎半島の西を帆走中。

二回目は鞆の浦から5マイル南を、アビームで帆走中と連絡があった。そこ

からたど1時間程度で入港出来る。どう間違っても昼までには鞆の浦港に入港

が確実となったので、関係武官等に電話して、歓迎式典か、拿捕取り調べか、

どのセレモニーにするかを決めずに、とりあえず会場と刻限を知らせて出欠を

聞いておいた。

 三回目の電話を待つ間に昼のチャージを取り、燃料の足しになろうかと思い、

”男の夢航海「光年」”なる焼酎を手にして、捕虜の拿捕にむかった。 

阿波守隻腕殿からもらったと言う、私の書いた港内見取り図の図面通りに、

日之出鉄工所所有桟橋にもやったサテンドールの無事な姿を見て、涙が出そう

になった。

 伊東さんの描く忠岡港の様に、整然とした図面では無かったのに、稚拙な私

の絵図を頼りに、良くぞ無事に着いたものよと感動した。そしてデッキからこ

ちらを睨む黒ヒゲ船長を見てホットとした。

 最初、どの服装で出かけようかと悩んだ。第一種正装か第五種略装か、東か

らの情報には接見時の服装に及んだ物が無かったからである。

 一計を案じて、ズボンを脱いで短パンにはきかえ、そのうえにズボンをはき、

シャツを脱いで、Tシャツを着た上に、長袖のポロシャツを着て袖をまくり上

げた。

彼の姿を見て、安心した精か汗がドッと出てきた。急いでズボンとポロシャ

ツを脱ぎ捨てて、サテンドールの臨検となった。

 見かねてか、ヌーと彼が突き出した灰色のタオルを広げてみると”SATI

−NDOLL・MUTSUWAN.AOMORI.JAPAN”とプリントさ

れたTシャツだった。別に彼からハッキリと「これ差し上げます」と言われた

訳ではないが、阿吽の呼吸で解っているので、返すつもりは無い。

 着たり脱いだり、脱いだり貰ったり忙しい一日となった。

 食うものも喰った、着る物も脱いだ、「衣食足りて、礼節を知る」。

 出されたビールを”パブロフの犬”の様に条件反射が働いてつい口にしてし

まった。

 車で来たのに、飲んでしまった。どうやって帰ろうか悩んだ。

 好い(都合の)標語を思い出した。

 「飲むなら乗るな、乗るなら飲むな、飲んだら車を押して行け」

 

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海・千夜一話物語 第156話

   「ワッ! 黒ヒゲ船長、飲んだ」

 

 カンカン照りのコクピットで・・・・・・

 実を言うと、とりあえずサテンドールでは、ここが一番条件が好い場所だ。

 キャビンへ入ったは良いが、冷房はもとより冷蔵庫から漏れ来る冷気も無い。

扇風機の影形も無く、団扇扇子の類もその姿を見せず、弱くはあるが風らしき

物の吹いているデッキが一番と、早々にキャビンから出てきた。

 ヨットのこと、東方(徳島、姫路等々)見聞録、過去の航海と後悔の事、共

通の友人のこと。

 カンカン照りのコクピットで、久しぶりにヨットの”ヨ”の字で、汗談(歓

談)した。

汗談とは、言い得て妙である。

 

福山ロイヤルヨットクラブの役人共の取り調べは、午後7時から始まった。

この度の取り調べ番屋は「養老の滝」と言う。

 ジョッキ一杯は、まず罪状認否。 ニ杯目で、ついに彼は吐いた。

 鳥羽パールレースの事、ケンウッドカップの事。

 松下気象発売のハルガード発明の親、前田夫妻の事(私の知人)。

 私とコンクリートヨット仲間のサンメート号で世界一周に旅だって間無しの

グアムで、オン・ザ・リーフした井上さんの消息を吐いた。

 ”台風のうわさ”で聞いてはいたが、やはりグアムで生計を立てていたかと、

彼の無事を喜んで聞いた。

 

その内、ロイヤルの役人共までが夢を吐いた。

 自設計、自作中の人が、建造を始めてから十数年も立つのに、未だ「建造中」

の立て看板を下ろさない本音を吐いた。

 「建造中」と言うのが、男の夢であると・・・。

 

太平洋横断の夢を吐くのも出てきた。

本気ならみんなで応援、援助はすると、エールを贈ってやったが「ヨツトを買

う積もりは無い」と言った。こやつは悪酔いしているな。

 奇しくも参加者全員が局長であった。そこでO型の新人、パケット伝道師の

WOYにパケットの啓蒙を頼んだが、既に彼は大悟の悟りを開いていた。

 「言っても無駄です。」「こころは、田舎の道でしょう」

ある人の部屋に無線機とTNCがあって、隣の部屋にパソコンがある。これ

がいつまで立っても繋がらない。

 近くて遠きは、まさに”田舎の道”だと言う。

 

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 海・千夜一話物語 第157話

   「ワッ! 黒ヒゲ船長、59」

 

 サテンドールの寄せ書き帳には”うみまる”の難波さんのコメントもあった。

 この中に、姫路の720イベントで知り合った、打瀬船の船長のコメントも

あった。彼は、鞆の浦から西に2時間で行ける内海町の漁業組合の理事さんで

もあり、「島へ来たら寄れ」と言われているので、今日はそこまで走ると言っ

て鞆の浦を後にした。

 

熊さんの、食料の入った荷物受取人になった私が、荷物を持ってサテンドー

ルを追っかける格好で内海町の桟橋へ急いだ。

米所の備後へ東京から米が送られてきた。何か変だな。魚の生け簀の横に係

留しているヨットに魚の干物が送られて来たような感じである。

 箱が重いから米ばかりではなく金貨も入っているのだろうと勝手に納得して

彼に渡した。

 

 広島県沼隈郡内海町横島。愛知県型打瀬船が復元された瀬戸内海唯一の島で

ある。否、島であったと言う方が正しい。この横島は東隣りの田島とわずか2

0mほど離れて別々の島であったが、数十年昔にむつみ橋という橋で繋がり、

数年前にはこの田島が内海大橋で本土と繋がったので、行政的にはもう離島で

はなくなった。

 

 ここの模様は今年の舵誌7月号で「打瀬の帆影が似合う海」と紹介されている。

ここでは、打瀬船の桟橋にのびのびと、ゆったりと、町民権を得たように堂

々と横付けしていた。

 天気も良し。風もまた良し。最後の取り調べの為に、友人の経営する「カフ

ェ59(ファィブナイン)」に村上高見守物見奉行ジョナサン(むらかみたかみのか

みものみぶぎょうじょうなさん)を訪ねた。

 いよいよ19日午後の出港である。

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海・千夜一話物語 第158話

「熊さん、ひょうたん島」

 ”ひょっこりひょうたん島、ひょっこりひょうたん島・・・・・・・・”

 地元の人は、某放送協会(別名薄謝協会)の人気番組のモデルになった島だ

と言うが、西日光で有名な耕三寺のある生口島(いくちしま)の南西、垂水地

区のすぐ沖に、なるほどひょうたんの形をした島がある。

 たしか生口島の住人だと記憶しているが、広島県と愛媛県に跨る畑を所有し

ている人がいる。規模は壮大にして面積は最小なのでギネス物だ。

 実は、このひょうたん島の所有者のことだ。広島県と四国は愛媛県の県境が

真ん中を走っていて、尾根の部分に小さな畑があるが、今日は広島県、明日は

愛媛県と農作業が両県を跨いで多忙である。

 

このひょうたん島を目の前に眺められる垂水地区にサンセットビーチなる人

工の海水浴場と隣接するヨツトハーバーがあり、漁船に占拠されている。

 細々と恐々と入っていけば、ヨットの数ハイは係留できる。

 ここには、外科開業医であり、幕末の医者、緒方行庵先生の飛沫を浴びた永

井港湾なる海族医師がいる。正式名、永井生口守港湾先生。

 私が狼煙を上げて呼応して呉れる、瀬戸内海族ネットワークの最西端の人で

ある。勿論カルチャー度の高いヨットマンでもある。この港湾先生に熊さんを

預けた。

 

内海町を離れるにあたって、Tシャツのお礼にと熊さんに、お土産を手渡し

た。

 何の脈絡もなく、マニラヨットクラブの、どピンクのキャップと親類で仕入

れてきたやや厚みのある味付け海苔だ。

 熊さんが帽子に合わせるか、帽子が熊さんに歩み寄るか、どうもミスマツチ

のきらいが無きにしもあらず。道中仲良くやって呉れることを祈る。

 

 「波にのり、飯にのり巻き、放浪記」 航海の安全を祈る。

 

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海・千夜一話物語 第159話

    「戦い済んで、気が落ちて」

 熊さんのその後は、次のようです。

7/22 香川県仁尾ヨットハーバー            泊

 7/23 広島県福山市鞆の浦港              泊

7/24 広島県沼隈郡内海町横田港            泊

7/25 広島県豊田郡瀬戸田町サンセットビーチ・ハーバー 泊

7/26 広島宮島口・海楽園ヨットハーバー泊

7/27 大分県姫島                   泊 予定

 

 熊さんは、何故か姫島にこだわった。

 姫島には、面白い盆踊りが残っている。

 数年前、何かのコマーシャルに登場した「きつね踊り」である。

 男の子が、顔をドーランで真っ白に塗り、口の回りにヒゲを描き、狐の格好

で踊る、飄々として素朴な踊りである。

「熊さん、狐を追う」と地方紙の見出しに載らんかな。

 

JI3HHC 伊東さん 俺は、待ってるぜー

 

 来るも帰るも距離はほぼ同じですぞ。

 熊さんの食べ残しは処分して、新たに買い込んだ迎賓館のおつまみは、O−

157の事故を懸念して、クラブ員の胃の中で処分しました。

 仕事なんじゃしょうがないですねえ。

 いつでも、来て下さい。

”俺は待ってるぜー”

 

 

TO 河野 阿波放棄守 隻腕 どの

 

 この度は、JCN名簿と瀬戸内海族ネットワークが、熊さんを実験台にうま

く機能しました。ご苦労様でした。

引き続き、跳梁跋湖する海族共を拿捕、取り調べ方よろしく、お願いします。

 

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海・千夜一話物語 第160話

 

「立秋、ちょっと好い話」

 外貨獲得に一部貢献していると韓国は釜山市の土産物屋から毎年カレンダー

を贈って貰う幸運をキープしている。

 チマ・チョゴリと言う韓国の民族衣装を着たベッピンの写真の物だ。どの娘

もカノジョにしたいような好い女なので、月が変わっても捨てがたい。

 せめて、ページをめくろうかと手にして驚いた。勿論、日付と曜日は世界共

通だが祝日は、日本のとは異なる。

 8月7日を見ると、「立秋」と漢字で書いてある。韓国でもこう呼ぶらしい。

 

”秋立つと 目にはさやかに見えねども 風の音にど おどろかれぬる”

 

  暦の上では、秋に入る日だそうだ。

 

立秋を前にして、好いニュースが一つ二つあり、気を好くしている。

 

 一つ目は、アトランタオリンピックで大活躍の女子470だろう。

毎年、佐賀県は唐津で行われる西日本OP選手権等で、あの二人(重由美子、

木下アリーシア選手)と監督の松山さんとは直に接触があるだけに、嬉しさも

ひとしおだ。今日(8/1)10レース終了段階で二位だ。日本のヨットでは

オリンピック史上初だというから、興奮する。

 

 二つ目は、糸満の漁師、宮里安三さんの46日振りの生還であろう。

漁に出て、エンジンが止まり、黒潮に乗り漂流すること46日にして、三重

県の漁船に千葉県犬房崎沖合いで救助されたそうだ。釣ったサバを食べながら

生きながらえたと聞く。

 年齢76だつたか67だったか忘れたが、TVで拝見して実に元気だ。年も少

しは、サバを読んでるかな?

 

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海・千夜一話物語 第161話

「・・・先生ありがとう!」

 どうした、どうした!!

8月2日の新聞のテレビ欄には、やたらと「ヨット」の活字が目に付く。N

HKの中継録画はもとよりだが、民放のワイドショウまでがFF(フォーカス&フライデイ)

まがいにセンセーショナルに取り扱っていた。

 街角での通行人のインタビューとか、地元の騒ぎ振りとかタレントキャスタ

ーまでが、唐津へ飛んで行っての取材振りである。

 しかし、これでやっとヨットもお茶の間の市民権を得たかと、つくづく思った。

 キャンペーンの効果から言えば、男子より女子のヨットでよかったのかな。

 これから、ヨットへの注目度がやや上がり、ジュニアヨツトの入門が急増して、

人数制限をしないといけないかな・・・と、関係者が協議する日が来るのは、

何世紀先かな。

 

アトランタオリンピックのヨット競技、女子470は銀メダル獲得。

 第10レースは、7位と奮わなかったが、2位をキープ。

 

重さんの涙のインタビュー。あの娘の唐津っぽいしゃべり方で・・。

「・・・・縁の下の・・・更にその下で支えて下さった皆様に・・・。

 そして、松山先生、ありがとうございました。涙 涙 涙」

 

 重、木下さん、松山さん、おめでとう。

 日本のヨットを愛する皆さん、おめでとう。これからは楽で。バンザイ!

 

 ワシも、うちのジュニアヨットのガキ共に、こう言う。

   ”ありがとう  言われてみたい  お前から”

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海・千夜一話物語 第162話

「特大の見出し、特大の記事」

 今日(8/3)は各新聞の一面に重、木下組の写真が載っていた。カラーの

ものもあり、特別扱いである。社会面では半ぺージも彼女達を扱っている新聞

もあった。それまでは、隅の方に小さな活字で二三行程度の扱いが、どえらい

変わりようである。「近所のポチが、人間を咬んだ」程度の関心度だったもの

が、「近所の人間が、ポチを咬んだ」位の大げさな報道振りである。

 

 

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海・千夜一話物語 第163話

「ヨット娘が帰ってきた」

 夏休みが始まって、すぐ広島の国体強化訓練に出かけていった高2の娘が4

日の晩にわが家へ帰ってきた。

 中一日休んで、今日(6日)の晩には広島入りして、今度は山口県光市で合

宿だと言う。

 好い色に焼けて健康そのものである。ブーツと短パンの跡が白く残ったこん

がり娘には、今流行のハイレグはおろか普通の水着も着れない。また、その暇

もない。

 仮に着たとしたら、横縞だらけだろう。足の先から上に向かって、白、黒、

白、水着、そして黒い顔。精悍な面構えだけが取り柄かな。

 

JG5RIK 宗子さん

 

 貴女が、広島の観音へ子連れで来たときは、セカンドもそこへ居たのですが、

気が付きませんでしたか。

 セカンドには、ディンギー乗りのパケット姉さんと既に話はしておりますの

で、今度チャンスがあつたら声を掛けてやって下さい。

 ウクライナを押さえてトップフィニッシュした、子連れキツネとも紹介して

おきます。

 それにしても、中村家と石川家はドル建ての間柄かね? エンが無い。

貴女のお膝下高松到着のうみ丸の時もそうだが、この度も目の前に居ながら

接点が無い。

宗子さんは、ハレー彗星か。今度会えるのは100年後かも知れない。そう

すると、私にももう一度チャンスが有るわけだ。じっくり待とう。

 

 「真夏の夜の夢」と言うジャズ映画で流れたとかで、熊さんは「サテンドー

ル」というジャズナンバーを日がな流していると聞くが、すい星も縁の無さも

「真夏の夜の悪夢」でなきゃ良いが・・・・。

 

 

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海・千夜一話物語 第164話

 「海の日は生みの日」

 「720海と遊ぼう」と言うキャンペーンが舵誌に載っていた。

 7月20日が海の日として祝日になったのを記念して、キャンペーン協賛の

ヨットの試乗会を各地で開催しようと言う主旨だ。

 自分のヨツトで良かったら、楽しんで貰おうと、キャンペーンに協力艇とし

て登録して於いた。

期日が迫ったある日、キャンペーン実行委員会なるところから、反応の問い

合わせがあり、琵琶湖では100名程の応募があるそうですとも聞いた。

 カルチャー的に反応の遅い地方都市の私の所では、地元からの応募は皆無で、

他の地方からの問い合わせが、殆どであった。

 驚いたことに、広島からの問い合わせには唖然とした。

「県下では、一番のヨツト王国広島市に幾らでもヨツトはあるでしょうに、何

で100Kmも離れた福山なんですか。」と聞いてみた。

「雑誌には、石川さんの所しか載っていなかった。」と答えた。まあ、そんな

ものかと改めて驚いた。しかし、それにしてもヨツトのオーナーも、わずか一

日のヨツトの提供が出来ないはずは無い筈だが。

 協力艇と応募者の双方で考えてしまう。

 20日は、芦田川河口湖でも、ディンギーやカヌーの試乗会を「海族まつり」

と銘うって普及のキャンペーンをした。

 特に今年は養護施設の子供達を20名程招待して、先生と共に楽しんでもら

った。

 この子達は、両親がいないとか、片親であり、親が育てられない事情がある

ような子供ばかりである。今現在、14歳の少年がヨット「アドバンテージ号」

で太平洋を横断中だと聞くが、私はこの子達に広い世界と、意志と努力で叶え

られる夢を育んで貰いたいと思う。

 言い方が悪いかも知れないが、親や親戚に捨てられた、日本ではいらないと

される境遇の子供達にも、日本以外でも活躍の地があることが見いだせれば、

グローバルな人間になるであろう。

 

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海・千夜一話物語 第165話

 「日本のエルブストローム」

 宗子さんの相棒は、日本のエルブストロームかもしれない。

 貴女もその内・・・・・ではないですか。

 私も実は、アトランタオリンピツクの銀メダリストの重、木下の活躍に刺激

されて、それよりやや小さい420を娘のティラーさばきで、自分がトラピー

ズで首を吊ろうかと提案したら、「いやよ!」と拒否された。

トラピーズのぶら下がり方より先に、娘の口説き方を学ばねばならない。こ

いつばかりは、来し方の豊富な経験(?)が役に立たない。

 

さて、広島の浜さんとは数十年来のつき合いです。波美(我が娘)の直接の

コーチは木時さんと言い、モスクワオリンピックだったか、代表を掛けて戦い

惜しくも選に漏れたと聞いています。

 

 しかし宗子さんも超多忙ですね。レース参加中は子供さんはどうしています

か。いずれ大会会場にも選手関係託児所の設置が必要になるでしょう。そうす

れば、主婦しているヨツトウーマンも、もっと参加が増えるでしょう。

 

 さてさて、スナイプでは懐かしい旧友の消息が、ヨットティング9月号

(P116)に載っていた。

 「M・マスターズ部門 金メダル」山本/室沢組、勇戦奮闘

この山本二郎さんは、かつて福山でわれわれとヨットを楽しんでいた仲間で

す。

 昨年訪ねた蒲郡の海陽ヨツトハーバーの掲示板で、活躍の成績と写真を見た

のがそもそも久しぶりでしたが、またこの度・・・・・・。

 しかし世の中には、流行を追わず、オールドファッションに拘っている人も

結構いるもんだと感心させられました。

 

ドラゴン、A級ディンギーそしてスナイプ ??

 

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海・千夜一話物語 第166話

 「ティリー帽」

 通販で、帽子を買った。ティリー帽(MADE IN CANADA)と言った。

 今日、珍しい事に制作者アレツクス・テイリーによる使用書なるものが添付

されていた。

 「ティリー帽使用マニュアル あるいは、制作者による口上書」とも書いて

あった。

 ロールス・ロイスの様に特別なので、これについて少し話をさせて頂きます、

とことわって、6000字にも及ぶ紹介文が書いてあった。

本来航海の為の帽子は、水に浮かび、簡単に風に飛ばされず、洗っても縮ま

ず、耐久性に優れ、しかも魅力的であるべきだとのポリシーのもとに1980

年に、わたしとわたしの船(マホガニーと真鍮とチークを材料に用いて、ニス

とファイバーグラスで仕上げた、ブランデルマイヤーがデザインした31フィ

ートの一本マストの帆船)の持つ基準を満たす様な帽子を制作するようになっ

た。

分かり易く言えば、防水・防カビの10オンスの丈夫な綿布出来たカーボー

イハットの様な帽子です。

 口上書の中の大きな項目だけを拾ってみても、面白い。

 「帽子のどちらが前か?」「ひもが帽子を固定します」「ひもの調整の仕方」

「どうしたらビッタリと合わせることができるか」「しわのとり方」「帽子の

染色の仕方」「洗い方」「サイズがほんの少し合わないとき」「タイタニック

号のように浮きも沈みもします」

 

「愛用者からの提言」にはこんな一節がある。帽子の頭頂部の内側に、名前、

電話番号、購入した年月日などを油性ペンで書いておくと、なくした時に、戻

ってくる可能性があります。誠に親切である。

 

 この帽子とショートパンツは、1982,83年の世界一周シングルハンド

ヨットレース、そして1983,86年のアメリカンカップでカナダチームが

採用したそうだ。

 

 追伸がまた奮っている。時折、ティリー帽をかぶっているということから、

すばらしい人達と出会い、また、新しい友人を作るきっかけになることもあり

ます。

 

 

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海・千夜一話物語 第167話

 「災難だぞ・ザ・ボン」

 今年の盆は災難続きだ。

「13日の・・・・」

8月13日、昼前。墓参り駐車中の家内の車で、車上荒らしに会った。

 鍵を掛け忘れた運転席のドアーを開けて、真っ昼間堂々と、目と鼻の先の車

から大事な物を持って行かれた。

携帯電話、財布、キャッシュカード、わが家の鍵、私の車の鍵。おまけに我

が娘の財布と現金。現金や鍵類は、合い鍵を作って当面は生活に支障を来さな

いがそいつで何時空き巣に入られるか、何時車を持って行かれるか気に掛かる。

 携帯電話はもう良い。留守録機能を持った物が欲しかったので、これで踏ん

切りがついた。キャッシュカードは、それぞれバラバラの暗唱番号だったので、

これをチャンスと統一番号にした。まあこれも良し。

 それにしても見事である。いつか犯人に会ったら、彼のサインを貰いたいと

思っている。ついでに、指紋も、、、、。

 

14日は徳島阿波踊りレースだが、今年はクルー不足で、九州の別府へクル

ージングの予定だつたが、台風12号(13号で無くて良かった)がその夢を

砕いてしまった。

 珍しく、念入りにメンバーの手でもやったヨツトのブームカバーのラッシン

グがほどけてしまい、マイラーコーティングのケブラーセールが海面に漂い、

久しぶりに大風呂敷を広げた。

 ボロボロのセールが水にゆらめく情景は、桂川の清流に洗う友禅染の風情で

ある?!

 

 悪いことばかりは無い。

 16日新入会夫婦がやってきた。メンバーは多いが、クルー不足のわがクラ

ブにはまさに良報である。海の日試乗会「海と遊ぼう720」の企画が功を奏

しての新人の登場である。

 3歳の子供を託児所に預けて、2回も練習に来た。地方人もやっと欧米型の

遊び方を身につけたか。

 

 やる気のある奴っあ、面白れーや。メリハリがあってねぇ。

 

 

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海・千夜一話物語 第168話

 「柏島、海と空の大捜索」

 柏島。高知県宿毛市から南西に約35Kmの所にあり、小さな橋で陸続きに

なっている。

 YUMEが今回目指して、台風の余波を考慮して諦めた所としても有名であ

また、ダイバー諸氏の口の端にたびたび登場する好ダイビングスポットとし

根強い人気の彼の地に、私も、干支が二巡逆回りする程昔、シングルハンド

立ち寄った事がある。

 ゴールデンウィークに友人と土佐清水で合流の予定で三崎港、西海町を経て

宿毛湾に入った。

 午後の日が傾き掛けたころ、東寄りの風が風力を増して来た。このまま、柏

島を回って大堂断崖沖から土佐清水にアタックするのは、風向、波浪共に悪く、

距離も日没までに到着出来る位置ではない。

 当時、柏島の知識はさらになく、四国の南西曲がり角のたまたま立ち寄った

避難港であったが、もやいを取った船着き場の自分のヨットのすぐ下を黄色や

横縞の熱帯魚が泳いでいるのを見て、感激した記憶がある。

余談だが、広島の宮島水族館では、熱帯魚の補給をこの柏島から調達している。

 さて、福山から翌日、土佐清水に到着予定の友人一行にはもう連絡が取れない。

アマチュア無線は、私は取得しているが、彼等は誰も所有していない。

 翌日もあいにく波浪がきついので、出港を見合わせた。

 昼過ぎの事だ。

 漁協に一本の電話が入った。宿毛海上保安署からのものだった。

「入港予定のヨツトが、今日土佐清水港に入らないから、捜索してくれとある

人から要望があった。」ので該当するヨツトがこちら柏島に入っていないかと

の問い合わせであった。

職員が私に教えてくれた後に、こう問いかけてきた。「ひよっとして、お前の

事ではないか。」

「今日の午後は、巡視船と空からヘリコプターで大捜査網を張ったと、言っ

とったで・・・」

 

 国民の血税の無駄使いは、始末書物だ。

 

アメリカのコーストガードは、粋なキャッチフレーズで海の男を喜ばせてく

れる。

「事故がある。コーストガードは、何時も貴方の側に・・・・」

 

 

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海・千夜一話物語 第169話

 「おめでとう!スカンピ」

 

 手塩にかけたヨツトなんて可愛いものです。

 一番心配なのが、そしてやがて一番苦労を掛けるのがエンジンなので、そい

つが快いハミングと静かな振動と力強い走りをしてくれると嬉しいものです。

曲り材のティラーとは当節珍しいのではないですか。私たちの乗っていた「

ダッチス号」(スカンピMK1)は積層のティラーでした。これも交互に色の違う材

料を張り合わせが綺麗で、ひと味違った良さがありました。

 

 そういえば、昔Y−19を作ったとき、ステム材とフレームに曲がり材を使

った記憶があります。確か樫の木だったと思います。こだわりのティラーには、

握りの所に人間の顔の木偶(デク)を彫りこんだりして・・・。

 名付けて「デクの棒」

 

 さて、川口さん、クルーは、いりませんか。確か江戸川区だったと思います

が、一人ヨットに興味津々の若者がおります。

 近隣のヨットに乗せてもらえる様、紹介して欲しいと言って来ました。彼は、

この夏、尾道市の従兄弟を訪ねて来て、その従兄弟が我がクラブへ入会した関

係で、我々のヨットへ連れてきたので、瀬戸内のデイセーリングを楽しんで貰

いました。

 勿論、これがヨットの始めての体験だそうです。役に立つやら立たぬやら解

りませんが、クルーとして鍛えてやつてくれませんか。彼等従兄弟同士の動静

を、パケットで報告しあうのも一考です。

 

 

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海・千夜一話物語 第170話

  「ああ宇和島や、宇和島や」

 大和田さん、初めまして。今後とも西部四国地方の情報をどんどん書いて下

さい。

 それから、第1回宇和島市長杯ヨツトレースの開催、おめでとうございます。

ご成功をお祈りします。

 

 貴地、宇和島へは2度程行った事があります。和霊神社とか、お城とか、鹿

の被り物を着けて踊る踊りとか・・・・。

 そして、数年前、忽然とジュニアヨツト界に登場して、大活躍した釜池兄弟

ファミリーは、また忽然とその姿を見せなくなってしまいましたが、ご存じで

すか。

 そうだ、凸凹寺は健在ですか。

あれは、いつだったか、ニュージーランドから来た外人に、この凸凹寺の事

を教えられたのです。「灯台もと暗し」とはこのことかと思いました。

 オーストラリア、大阪間のダブルハンドレースに夫婦でエントリーした、ス

ワン号のレスリー・スワンさんに、福山ロイヤルパーティーの後に、西はどこ

まで行く積もりかと訪ねたら、「宇和島だ」と答えた。

 大和田さんには失礼だが、宇和島ってわざわざ訪ねて行く様な所では無い気

がすると、私は思った。広島でも、別府でも無く「宇和島だ」と言うからとに

かく驚いた。

 「知り合いでもいるのか」と聞いてみた。彼は、ニヤニヤしながら、「日本

の観光」と言う英語版を取り出し、ペラペラとページをめくって、UWAJI

MAの該当ページを見せてくれた。

 その瞬間、昔TV番組で垣間みたあの宗教以外で有名な寺を思い出して、一

緒になって笑った。

 

「母さん、ぼくのあの思い出は何処に行ったでしょうねぇ。ホラ、宇和島のあ

の凸凹寺の思い出ですよ。」・・・・・・人間の条件より。

 

 

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海・千夜一話物語 第171話

 「大変だ!フランス海族が来た!」

 8月27日、鞆の見張り番から、電話が掛かってきた。

 「平の港に40フィートくらいのヨットが入っている。コナウィンドの横の

方に防波堤にスターン着けで止めてある。」と言う報告であった。

 

 年甲斐もなく旺盛な好奇心に勝てず、翌朝のラツシュ時に、渋滞している車

の列と逆行して14Km隔たる鞆の浦、平港へ急いだ。

”惚れて通えば、千里も一里”とおじいさんに教えられた諺が、役に立つ。先

程亡くなった時代作家の司馬遼太郎さんが、こうも言っている。「若さとは好

奇心である。好奇心が無くなったら彼はもう歳だ」

 

 バウが鋭角に尖った、鈍い銀色のハルはアルミ艇かもしれない。

 防波堤にスターンを向けているから、近くへ行って大声で叫べば、言葉も届

きやすいし、うまく行けばキャビンの中が覗けるかも知れない。おまけに、彼

等のゴムボートがトランサムに繋がっているので、誰かが居るはずだ。

近づいて大声で叫んでみた。おじいさんがキャビンから顔を出した。

 「何日ここへ滞在しますか。」

 「リーブ トゥモロウ(今日出ていく)」

 ウエカム パーティーに誘いに来たのに、これから出発されてはかなわない。

「ちょっと待って!詳しく話すから、そこへ行っても良いか。」

 そんな風なやりとりの後、ゴムボートの迎えで彼等のヨツトに招き入れられ

た。

 アルミ製40フィートのスループ艇で、ダブルチャインのセンターボーダー

だと言う。艇名を「オカメ2号」と言い、トランサムにアルファベットで大書

してあり、バウの両サイドに縦方向に漢字で「岡目」と粋に書いてあった。

なるほど、見張り君が言うようにスターンのポールに取り付けられた旗は垂れ

下がっていたが、手で広げてみると、かって見たことの無い模様だった。

 ユニオンジャックの地色の濃紺の生地の真ん中に、白色の星印が十数個、直

径30cm位の円形に描かれてあり、ポールに沿った縁の上部隅に小さなフラ

ンス国旗がプリントしてあった。それは、ヨーロッパ連合の旗だと教えられた。

船長の名をオリビエと言い、63歳。提督(奥さん)が、クリスティアーヌ

と言い、64歳。二人に加えてマドモアゼル バネッサと言う名の可愛い孫娘

が同乗していた。

驚く無かれ、国を出たのが7年前の、1989年7月。西フランスのナントを

出帆したと、シャーシャーと宣った。  ナント!!!???

 

 

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海・千夜一話物語 第172話

 「ナントから福山へ」

 NANTES(ナント、フランス)、カナリア諸島、バルバドス、バハマ、

ニューヨーク、五大湖(運河)、シカゴ、ミシシッピー河下る、キューバ、メ

キシコ、パナマ、太平洋岸北上、バンクーバー、サンフランシスコ、サンジェ

ゴ、カリフォルニア半島(バハ)、ハワイ、マーシャル諸島、カロリン諸島、

グアム、鹿児島、瀬戸内海四国沿岸、大阪、小豆島、北木島、鞆の浦

 

 これは、出社前に訪問したオカメ2世号のキャビンの中で、慌ただしく書き

込んだメモである。書き損じ、聞き漏らしが多々あるものの、こんな航海をし

てきたと言うオリビエさん夫婦とオカメ2世号の大航海の訪問先リストの概略

である。

 

 艇名「オカメ」の由来。彼の最初の奥さんが、アンティークの店に勤めてい

た。その店の商品に日本のオカメの面があり、興味をそそられた。

次のヨットは「ひよっとこ」にするかと訊ねたら、「オカメ3」だと言った。

余程思い入れがあるようだ。彼の初体験はオカメさんだったかも知れない。

 

 そして、一番嫌われる質問であり、日本人が一番聞きたがる質問をしてしまった。

 

1,何歳ですか。 ?  キャプテン オリビエ     63歳

            提督 クリスティアーヌ    64歳

    孫娘 マドモアゼル バネッサ 18歳

 

2,職業は(過去)? オリビエさんの職業は下記の断片的な言葉で想像。

 政府、オフィス、飛行機、軍隊ではない

 

3,月々の資金は ? 年金が、自分と彼女と合わせて毎月30万円

 

 

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海・千夜一話物語 第173話

 「朝鮮通信使・東来温泉」

 

 朝鮮に一番近い島、対馬は、韓国との貿易の基地でもあった。

 

 日韓貿易が一番盛んだった1960年頃は、輸出入合計の貿易額で12億円に

 

達し、厳原には20軒を超える貿易商社が立ち並んでいたという。

 

 13世紀、平地の少ない対馬は食料の自給が出来ず、朝鮮との貿易が重要な支え

 

であった。

 

 やがて豊臣秀吉の朝鮮出兵により貿易は断絶されるのだたが、宗氏の懸命の努力

 

により、朝鮮との通商条約締結にこぎつけ、江戸幕府は対馬藩だけ特別に朝鮮貿易

 

を認め、プサンの倭館にあいて取引を行った。

 

 この倭館のあつたとされるのが、現在のプサンの東、東来温泉である。

 

 ヨットでプサンへ行ったときは、この温泉で疲れを取るのも好いものである。

 

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海・千夜一話物語 第174話

Subject: JFMC漂流記 その1:機走中の出来事

 

JFMC漂流記 その1:機走中の出来事

 

ヨットフィールドの各局初めまして 7N1DMV/JS6 満生(まんしょう)と申

します。

 私は帆船日本丸に実習生として平成7年の10月から8年の3月まで乗船し

てました・

 これから、その間にあった事なんかをだらだらと書き綴りたいと思います。

 10月から12月までは日本沿岸を巡航していました。この間はときどき帆

走訓練をしながら主に機走しておりました。

 東京を出港してから館山沖、岩手県の宮古、そして事コ翌ニまいりました。

 その後のことです。

 ヨットに乗っていらっしゃる方はご存じかと思いますが、帆走する船には船

底にバラストというオモリをつんでいます。日本丸の航行条件にも「キール部

分のバラストを移動させぬこと」とあります。そして、清水もバラストの役割

を果たしています。しかしこれらは全て帆走中に役に立つものなのです。機走

中にはただの重心を下げるだけのものと化します。

 室蘭を出航してから日本海に入り私たちは機走で天の橋立を目指しました。

 そのとき日本海には発達中の低気圧がいました。さて・・・結果は・・・。

 

 船底にバラストがしこたまあるということはすごいことで、左右に40度以

上は傾きますが、この周期が殺人的に早く、そして船首にあるバウスプリット

を波が叩き、それがありワmb「とは言えないブリッジを洗いました。

 そのとき船橋当直実習中だった私たちは、1Pvシ中3名を残して船酔でダウ

ンしておりました。そんなときでも当直士官は「何バテんトbセばかやろう」と

激励(?)の言葉を掛けてくれました。

 大体が船橋で飛び跳ねたら滞空時間は通常の2倍近くあったのですからその

搖れのすごさをわかって頂けると思います。

 この体験のおかげで少々の搖れでは動じない体が出来上がりましたトサ。

 

 

 このブリテンの感想なんか戴けるとうれしいです。

 その2では帆走中の事なんかを書きたいです。ご期待ください。

 

#########################

# 7N1DMV @ JR6YRE.JNETR6.JPN.AS     #

#                   #

  # KAORU "KEI" MANSHO    満生 馨 (♂) #

# CPU: NEC PC-9801LS TNC: T-COM2 RIG: C-560 #

# M/S SHURI (JIMT) Jr.3rd/Off      #

# OKINAWA Prif. NAHA City NAHA Port S-1 Wharf #

#########################

Path: J_

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海千夜一話物語 第175話

 「対岸の舵」

 「対岸の火事は大きい方が面白い」と言うが、この度(10/20)は、仁尾マリ

ーナのクラブレースを観戦方々、対岸へ舵をひいて、大きい物を食べに行って

来ました。 ^^^^ ^^^

 「対岸の価値」は面白い。たこ判焼きの事である。

ついに、全国区の有名度を誇る「たこ判」焼きを食べた。

 予約が必要だと言うので、30分前に予約をしておいて、あるレース艇のク

ルーの一人に車で店まで連れて行ってもらった。

 むさ苦しい店だが、既に順番待ちのお客が何人も居て、名前を呼ばれるのを

待っている。まるで病院の薬局の待合い室風景である。

 壁には全国からやってきたお客の訪問記念の寄せ書きが団扇に書いて張って

有る。たこ判絵馬堂である。

 「安い」「美味しい」「珍しい」調から、「お陰で大学合格」「これを食べ

に行くと言う口実で、結婚以来初めての旅行を・・・・」調まである。

 味の方は、なかなか面白い。端的に言えば、太鼓型お好み焼きである。

 お好みソースとマヨネーズで食べるのは、まさにお好み焼きである。野菜が

たっぷりのところは広島風お好み焼き。とにかく納得、胸のつかえが取れた。

 

 マリーナへ帰り着くと表彰式の真っただなかだったが、自分の出ない「対岸

の舵」は、誰が優勝でも構わないのだった。

 嬉しいのは、アフターパーティーで、知り合いが増えることだ。その人脈は

まさに財産である。

 ついに長川さんともサシで話が出来たし、八木さんとは期せずしてアイボー

ルとは喜びに耐えない。今日はYUMEに乗られたのか、DIVERフォーラ

ムの人(名前を度忘れ)とも、いきなりアイボール。

 将来、世界一周の夢を持つ、DREAM COTの桐野さんとは、今一度会

って、夢談義に花を咲かせたい。

 

 とまれ、今日は仁尾へ行って、非常に良かった。仁尾の皆さん、お世話にな

りました。

 

     荷を背負い 仁尾へまた行く 夢談義

^^ ^^ 石川泥舟

 

 

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