第176〜200話
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書籍紹介 「海の鼠・吉村 昭」 その一
宇和島と聞けば、良く思い出す本がある。また、近くをヨットで航行中 はこの話を思い出して、知らず知らずに、どの島なのか見当をつけている 自分に気が付く。 宇和島の局が登場されたので、改めて本を引っぱり出して、何島だった かを調べようとして、はたと困惑の態である。 周辺の地名は載っているが、舞台となった島の名前が出ていない。チャー トを前に推理した。 1.島は四国の西南方に位置し、近くには多数の島々が点在している。 2.島はY字形をしていて西方に突き出た岬は長崎鼻と呼ばれていた。 3.西南方の沖合いの島・・・4キロ隔たった位置・・・日振島・・・ 4.南方に御五十神島がある。
大和田さん、何島でしょうか?
さて、物語は次のように展開していく。 三月上旬の曇天の午後、漁からもどる一隻の漁船が長崎鼻沿いに村の方向 へむかっていた。海は凪いでいて船足は速く、漁師は岩礁を避けながら船 を走らせていた。 彼は、眼を海岸線に向けていたが、不意に身体が硬直したように動かな くなった。 櫓をあやつって恐る恐る舳先を磯に向けた。近づくにつれて、黒々と動く ものは岩や砂礫ではなく、おびただしい鼠の群であることに気づいた。 その群の進む方向には村がある。船の焼き玉エンジンを全開にして村に 急いだ。 村人は、目を血走らせて長崎鼻で目撃した情景を口にする漁師の顔を、無 言 で見つめていた。それは信じがたい話であった。 たしかに付近一帯の島々には、約二十年を一周期に鼠による被害があら われていた。 近くの無人になっている黒島と呼ぶ島も、鼠の害によって放棄された島で あると、言われている。
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海・千夜一話物語 第177話 海の鼠・その二」吉村昭著 鼠の発生は、「湧いた」と言う表現につきていた。 島の西方に突き出た長崎鼻の海上から一漁師が磯を移動する鼠の大群を 発見したことが最初の兆候といえるが、鼠がどの様な過程を経て村に出現 したのか、かれらにはわかっていなかった。 段々畑に被害が表れたときには、既に無数の鼠が村の丘陵に充満し、な だれのように村の中へも流れ込んでいたのだ。 被害は多種多様に及んだ。麦、種芋、煮干し、さらに人家の食べ物、家 財、電線。夕方になると、鼠は巣から出て人家や浜を走り回る。 路上を歩くと、夕闇の中を鼠が左右に走り、電線や軒端にも鼠の列がつ づいた。飯櫃には穴が開けられ、蓋を取ると数匹の鼠が飯にまみれてうご めいている。野菜をかじり、魚にむらがる。家の中には、鼠の体臭がみち ていた。 その内に人身事故が発生した。幌蚊帳の中に寝かされていた嬰児の耳た ぶが、鼠にかみ切られたのだ。 この事故は、村の者達に新たな恐怖を与えた。鼠は、村の者達の食べ物 をかすめとるだけではおさまらず、人間にも危害を加えてきた。さらに鼠 が繁殖を 繰り返してゆけば、やがては島も鼠に占められ、村人達は村を追い立てら れることにもなる。 調査に来島した京都大学の教授は、島に発生した鼠を即座にドブネズミと 判定した。 ドブネズミは鼠族の中でもっとも獰猛で行動範囲はひろく、食欲もきわめ て旺盛である。殊にその繁殖能力は、異常なほどの激しさをもっている。 その結果ひとつがいのドブネズミは、一年後に一万匹以上にも達してしま う。
また島は、鼠にとって生活環境も良かった。つまり、村とその周辺は餌を ふんだんに漁ることのできる豊かな食料庫で、澱粉、蛋白質、カルシュウ ム、脂肪その他栄養価の高い食べ物を摂取出来るのだ。 さらに石垣は鼠の棲息する巣をつくるのにも、程良い条件が備わってい た。
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海・千夜一話物語 第178話 「海の鼠・その三」吉村 昭 著
郡事務所から、早速金網式鼠取器が各戸に配られて、成果はあったが、 かかった鼠はどれも中型以下のものであった。十分な食べ物にありつい ドブネズミは一様に大柄で、中には子猫以上もある体長三十センチ近い 大鼠も走り回っている。 そこで、次は黄燐性剤、俗に猫いらずと呼ばれる駆鼠剤を使ってみた。 これは、発火点が低く、発火しやすい性質がある。事実西隣の日振島で は、ばらまいた駆鼠剤で火災が発生した。 そのうち、毒餌をまいた家の天井からウジがポタポタ落ちてくるよう になった。 製薬会社の説明では、この毒餌を食べた鼠は、暗い天井裏等で死を迎 えるそうだ。 そこで天井裏を覗いてみたら、無数の鼠の死骸からウジが発生して、 部屋の中へ落ちて来るようになったのだ。 つぎに、パチンコ式鼠取り装置を導入した。これは、強いバネで支えた 太い針金で鼠を鋏つけるものである。 畑に仕掛けた装置は効果はあったが、かかった鼠の死骸を鴉や鳶が、 軽い装置毎持ち去ってしまった。また、住民は畑まで装置とエサを仕掛 けに毎日出向くことに疲れはててしまった。やがて、この方法も中止に なった。 この頃、教授は、島に棲息する鼠は約60万匹、隣の日振島が50万 匹と判定していた。
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海・千夜一話物語 第179話 「海の鼠・その四」 吉村 昭 著 鼠の天敵である、蛇の青大将を大量に仕入れた。しかし、腹一杯になっ た青大将は一週間程度はそのままじっとしている。蛇が飲み込む数は、到 底鼠の旺盛な繁殖数には及びもつかないのだ。 次にモノフルオール酢酸ナトリュウムという劇薬を、幼児やペットに触 れないようにばらまいた。微量で鼠を即死させるので、人目につく所で死 骸を発見して収容できる。これは、かなりの効果があり、鼠の死骸の焼却 は三日間にわたつて行われたという。しかし、この猛毒性の薬液は、島の 自然環境の均衡を徹底的に破壊しつくした。ばらまかれた毒エサは鳥類に ついばまれたり、犬や猫も犠牲になった。 次にイタチを採用したが、イタチ同士の内紛があり、共食いを始めてし まった。雌より雄が多いと、雌を奪い合って雄同士が殺戮し合うのだそう だ。この戦いに巻き込まれて傷ついた雌は死亡することも多いそうだ。 次に考えたのが、アメリカ大陸の原野で鼠を常食とするアメリカイタチ のフィツチを飼育業者から買い取った。だが、このフィッチは、飼育に次 ぐ飼育で野生を失っていた。 猫を仕入れた。浜には魚の加工品や干物がたくさん並べてあるので、猫 は鼠と闘いその肉を食うことで飢えをしのぐ必要は無かった。 鼠の大発生から三年を経過したころ、御五十神島の全世帯の住民は、つ いに日振島へ移住してしまった。 やがて、七年が経った。この時既に鼠は120万匹と判定されていた。
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海・千夜一話物語 第180話 「海の鼠・最終回」吉村 昭 著
二月に入った頃、帰省者の中の一人の若者が、ふと思いついたように鼠 の数が減ったようだと言った。他の若者も、周囲の気配をうかがうように、 そんな気がすると同調した。 夜、村の漁師が網船を出した。乏しくなった鰯の回遊を求めて出漁した のだ。 海上を見つめていたかれが、「シラミ(白波)だ」と、相棒の漁師に叫ん だ。 島の周辺の海には、夜光虫が群れている。シラミは魚が群れていること を示ていた。漁師は、魚群を取りまくように網を海中に入れた。ところが 海面を泡立たせているのは、鰯ではなかった。 鼻先をあげてひしめき合うように泳ぐ鼠の大群であった。かれらの頭は 一様に半島部の方に向けられていた。 昔から、ドブネズミは泳ぐことはしられていた。実験によると、80m から最長240mの距離しか泳ぐことは出来ないことが明らかにされてい る。かててくわえて、半島までは20キロもある。 その日再び、別の場所からも鼠の大集団の海上移動の目撃の話が伝わっ てきた。後日、日振島の村長からも半島方面へ向けて泳ぐ鼠の大群の報告 があった。 その後、島の鼠は急速に減少し、翌年になるとその姿はほとんどみられ なくなった。 やがて、鼠の発生の報告が、半島部一帯から町から、もたらされるよう になっていった。
これは、昭和25年前後の史実である。島は、宇和島の西方にあり、戸 島と推定される。
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「来て 見て 触った 宗子の右手」
中村宗子さん、芳岡美帆さん「優勝おめでとう!」
小咄 :中村、芳岡組スナイプにしても、柳川シーホーッパSRにしても、 何故早いのだろうか。 どちらにも、もう一枚 ”帆” がついている。
注:柳川志帆は、成年女子シーホッパーSR級で優勝
9月11日は、少年女子シーホッパーSR級に出場の、金井沙弥香の当 て馬兼黒子役の我がセカンドの激励とレース観戦の為に、阿賀の国体会場 へ行った。 不純な動機(RIKさんの手を握る)もあり、また誰かに会える期待も あって、心躍るものがあった。 レース終了後、閉会式を待つ間のくつろいだ午後のひとときに、それは やってきた。 知人と立ち話中の澤先生を、捉えた。(彼とは十数年来の知人である。 確か島根国体の年に、米子のジュニアの名物監督内藤さん所有のクルーザ ー、「オルカ号」で、隠岐までクルージングしたのが、始まりである。) 彼の地元出身である筈の「旧姓足立宗子嬢」の話を持ちかけてみた。 「知ってるも何もない。私の教え子です。」と彼は言った。 これ幸いと彼に、私と宗子さんの「紅い糸」の関係を懺悔したら、 「そうですか、では、一緒に探しましょう」と、彼の誘導でまず香川県 のブースを訪ねた。 選手が「あっちでしょう」 あっちへ行けば「そっちでしょう」 みんな、一週間前の目撃の様な、あての無い情報をくれる。おかげで、 狭い会場をこうも長距離歩けるのかと錯覚するくらい歩き回った。 的は次第に絞られて来た。 澤先生の感は鋭い。 彼の目が、それらしい女性の背中を捉えて、ぐんぐん私を引っ張って 行った。 そこは、「インタビュールーム」でも、「更衣室」でも「看護室」でも なかった。ごったがえす、お買いものコーナーであった。 目線が合い、「ああ・・・」とか何とかの声を発し、一瞬の間を置いて、 会釈した。「はじめまして。やっと会えましたね。」 その瞬間に、私のシングルハンドは、彼女のゴールデンハンドを捉え ていた。
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海・千夜一話物語 第182話
「握りしめた手の温もりを・・」
土産物ブースで宗子さんを捉えた。初対面の挨拶は、手と口がものを言う。 握りしめた手の温もりを、誰にうつそうかと思案した。 一芸に秀でた人を、私は文句無しに尊敬してしまう。その人が、たとえ胸 に”讃岐うどん”とプリントされた国体チームのポロシャツを着ていてもで ある。 閑話休題(それは、さておいて)。FJの時代から既にその頭角を表してい たと聞くヨツトの女王のゴールドフィンガーの温もりは、その後、熊本県の 高木裕(ゆたか)選手に伝えた。12年前のロス・オリンピックの470級 選手である。 なんと、彼はパケット・ヨットフォーラムのROMであったぞなもし。次 からは、RAMになってくれることをお願いして、確たる約束を取り付けた。 フォーラムの皆さん、乞うご期待なのよ。 さて、この経緯は、かくかく然々なのよ。 帰り支度する車に熊本のナンバープレートを見付けた。 一人の日焼けした成年に、「熊本」「クルーザー」「ジュニアヨット指導」 「ヨットマン」「パケッター」「天草」「具雑煮」と断片的な言葉を繋ぎ合 わせながら、長浜さんの事を知り合いでは無いかと聞いてみた。そしたら 「それは自分の知り合いである。」そして自分もパケットは読んでいると答 えてくれた。 「熊本には、ヨットのオリンピック選手が居るそうだが・・」と聞いたら、 「それは自分です。」と答えた。そして、今後は彼もパケットに、メールを 書いてくれると堅い約束をしてくれた。 高松にもRIKさんの相棒が、デビューするそうなので、期待高まる秋の 夜長になりそうだ。 うれしいねぇ!
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高木さん(JK6GXJ)、メールをありがとう。 今後も、どしどし書いて下さい。 JK6GXJ>・・・もう30秒遅かったら会えなかったでしょう。 「人類にとって、この30秒は、小さなものだが、私にとっては、大き な30秒であった。」 どこかで聞いたようなセリフだが各局お許し願いたい。物は言ってみるも のだとつくづく思います。そしてこの思いは、連綿として青春の苦い思い 出へと続くのでありました。「あの一言が何故言えなかった。」とね・・。 そう言えば、サラリーマン川柳に、こんなのがあった。 「ごめんなさい! 言えりゃ いまごろ 課長さん」 私は、九州はクルージングで3/4周しましたが、後の1/4周(長崎 −鹿児島間)が未踏です。どんな形でも良いから繋ぎ合わせて完成させた いと思っていました。 高木さん、天草クルージングを楽しみにしています。
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「思い出のゴールデン・ゲート・ブリッヂ」
「中学三年生の高橋素晴君が、13日午後(日本時間14日朝)9600K mの太平洋単独横断の世界最年少記録更新に挑戦して、目的地のサンフランシ スコ港に無事入港を果たした。」と9月15日の読売新聞に一面トップにしか もカラーでニュースが報じられた。 湾内北部のサウサリート付近でレジャーボートに乗っていた男女が、彼を発 見したと書いてあった。湾内へ流入する強い東流に乗り、ゴールデンゲートブ リッヂを無事くぐったのは良いが、プロペラを外している関係で湾内の自力機 走が出来ず、関係者の発見と曳航を待っていたのだろうと推理した。 それにしても、スバラシイ。素晴らしい!? サンフランシスコ。ゴールデンゲートブリッヂ。サウサリート。 ワシも、想い出してしもうたで。 イチ、ニッ、サン、シー、ゴー パッ。間違いなく、最終目印として頭に叩 き込んでいたポイント・レイ(レイ岬)の灯だ。 五秒毎にに灯台が投げかけてくる光のビームの中を、沖合い1マイルの至 近距離に接近し、霧笛を背に通過したのは、午前二時であった。 ゴールデンゲートブリッヂへのフィニッシュ劇のプロローグがいよいよ始 まる。 陽が昇った。遥か沖に濃い霧の幕が見えるが、どうやらそこで止まっている らしい。幸運だ。 あたりが更に明るさを増してきた。靄を通して南北に連なる低い丘陵の上 に黒っぽい煙突の様な物がうっすらと見えた。双眼鏡を目に当てて焦点を合 わせると、ブリッヂの橋脚の上部構造に見えた。 星条旗をつけたヨットや釣り船の数も増えた。自分達は既にアメリカの領 海内を走っている。 リハーサル通りに、星条旗と検疫求むの意味を持つQ旗をマストに高く上 げ、スターンのポールに日本の旗を掲げた。 もうすぐだ。走れボルテチノ(蒼い狼)。 切り絶った岬の上にポイント・ボニタの灯台が見える。ヨーロッパアルプ スの山小屋風の白塗りの家が灯台なのだ。この優美な灯台が居を構えている ボニタ岬は北から沿岸沿いに進入するときの最後のコーナーである。 西風と湾内に流入する潮流に助けられて、岬を回りボニタ・チャンネルへ 入った。 視野が開けた。眼前にゴールデンゲートブリッヂの紅い優美な姿がシネマ スコープの大画面の様に姿を現した。 10年の永きにわたって思い焦がれ、夢見続けて来たフィニッシュライン がそこにある。 感激して、女房が泣いた。構えたカメラのシャッターを押し続けながら、 もう誰にはばかることもなく、自分も泣いても良いと思った。
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「火の国パケッターを訪ねて」
ジュニアヨットの西日本選手権が佐賀県は唐津市で毎年初秋に行われている。 今年も選手を送り込んで同伴生活になるところだが、新会長にその選手の 父親を任命した関係で、私にはほんの少し、開催地周辺のヨットマンとの交 流が出来る様になった。(単なる言い訳だがね。) 国体会場で知り合った高木さんと、その事をいつかメールに書いていた長 浜さんにアイボールする事が九州での最大の目的に擦り変わっていた。 なおかつ、長浜さんが口を滑らせた「具雑煮」なるものを、口にするのが楽 しみでもあった。 「牛に引かれて善光寺参り」と言う諺があるが、さしずめ「具雑煮に引かれ て火の国参り」とあいなった次第です。 JK4GXJ高木さんと再会を果たしたのは、9月22日の朝、彼の所有す るクルーザー(ヤマハ33、名前は記憶無し)の上であった。 折しも台風17号が接近していたが、九州への直接の影響は免れていた。 しかし、大陸から張り出した優勢な高気圧から、それに向けて強風が吹き荒 れていた。湾口から沖をみれば、白兎が数百匹、否数千匹以上も飛び交って いた。 これが、プレイボーイ誌のバニーちゃんなら、三つ折りのグラビヤが楽し みだが、帆走を阻まんとするバニーちゃんに対処するには、デッキでヨット 談義やパケット談義で一杯やるしかない。これもまた楽しみの一つには違い ないが。 湾口に跳梁跋跨する兎に阻まれた、島原の名物「具雑煮」は何としても口 惜しいが、火の国パケッターは面白いことを言ってくれた。 「楽しみは、先に取っておくのも乙なものです。」 竹下さん、早速のメールをありがとう御座います。 山鹿温泉に浸かりに行きますよ。古今東西、埋もれた古文書に再び光を。 高木さん、Y15からのヨット歴を聞いて、急に親しみを覚えましたぞ。 歴戦の志である貴方は、書くことがたくさんあるでしょう。 聞かせて下さい、エピソード等など。 長浜さん、「具雑煮」には責任がありませんか。地元でも啓蒙して下さ い。 温泉のおばちゃんに聞いたら「雑煮は正月にた食べるものでしょう」と 答えてくれた。嗚呼。 確かに、楽しみは取っておくのも、再訪問の楽しみがあります。 清水中学の山本先生(JE6XML)、ヨーロツパ運河ヨツトの旅等々を、 またしましょう。 それから早くパケッターになって下さい。 ”楽しみは 先に延ばして 諦める 島原普賢を 垣間みながら” 火の国パケッターの皆様、ありがとう御座いました。
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「憤懣・幻の準優勝」 9月15日 芸予諸島の某島で、ヨットレースがあった。 クルーザーはレーサークラスとクルージングクラスとに別れて同時スタ ートの8マイルと4マイルコースで競い合った。 大は40feet艇から小は22feet艇18ハイが参加して、好天 気の中でいつものパターンの展開でフィニッシュを迎えた。 いつものパターンとは、風力の吹き具合のことである。 スタート前後は3m/sそこそこの風が吹き、衰えまた吹き、上マーク を回った頃から下マークに掛けて風が無くなり、ひどいときは40分も凪 いで潮に流される。そしてまた3 ̄4m/sの風が吹いてくる。 三角に打たれたブイを従来ならコース短縮で一周で終わるところだが、 今回は凪の後、軽風が表彰式まで吹き続いたので、当初予定の2周回航で フィニッシュを飾った。 しかし、風に恵まれたとは言え、8マイルを2時間少々かかったのでは、 早いとは言えない。 平均艇速は4ノットを割っている。 私の乗ったボルテチノ号(J24)は、レーサークラスのミニマムボー トであるが、成績の方は8着4位であった。 「2周目のフリーのレグでのスピントラブルが無かったらなあ」と言い つつ、ビールを飲み海鮮鍋をつついて帰途についた。 さて、憤懣やるかたないのは、この後である。 福山でヨット仙人と異名をとる某君から電話があり、こう言った。「送ら れて来た成績表を見ると、風速域の設定がどうも間違っているように思わ れる。 成績表では中風域(6~9m/s)になっているが、軽風域(5m/s以下)だと 思うので、再計算してみたらボルテチノが2位になる。」 改めて表をみると、風速8m/sと書いてある。他の艇に聞いてみて も、ブローで15、安定したところで10の数値を示していたと言った。 勿論これはノット表示である。秒速では、ブローが7.5m/s、安定 した風が5m/sである。凪ないし微風が約1時間もあったのでは、平 均風速は5m/sを割ってしまう。 風速5m/s以下。平均艇速4ノット以下。この事は計算上重要であ る。 クルーザーレーティングは、風域の設定により、タイムアローワンス と言う係数が変わってくるから、注意が必要だ。 事と次第では、 我が艇は、4位が2位になるのだ。 本部の人は風速をノット表示で見たのでは無いかと考えて、コミッテ ィーに抗議したが、「この眼で見た。間違いは無い。もう変えるつもり はない。」 最後の言葉は我が耳を疑った。 「私を笑ろうてもろうても、ええ でぇ。」 嗚呼、この人とは、議論する土俵を間違えたようだ。 健闘してくれたクルー達よ、集まってくれ!! トロフィーを買って来てやるから、幻の準優勝を祝おうや!?
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「我が胸の燃える思いに比べれば・・」 何処へ行くのにも、ヨットにこだわったお陰で、日本の内陸部の探訪が 疎遠になってしまった。 従って、今頃になって、知らない町を訪ねて車を走らせるのが、実に楽 しい。 海で50年、陸で50年。人生が2倍楽しめて結構な事だと嬉しくもある。 地元の港に入港するヨットがあれば、無理矢理訪ねて行って親交を結び、 何かの大会の会場でめぼしい人に出会ったら、迷惑を顧みず名刺を交換し て、口実を作っては訪ねていく。 琴線を震わせるものをお互いに感じたと思ったら、友好が連綿と続き、 さもなくば、それきりので終わる。 「楽しみは、先に延ばす」のも、訪ねていく機会を増やす口実になる。 その論調でいくと、熊本も高松も、次の機会到来が楽しみでもある。 さて、あの日、火の国を後にして、高速道路をひた走り、家路をたどる 自分の車の前を、鹿児島ナンバーの大型保冷車が走っていた。 後ろの扉に、西郷隆盛の胸の内を詠んだ有名な詩が、大書してあった。 こんな光景を目にすると、運転するアンチャンが賢そうに思えるから、 落書き一つでも選んで書きたいものだと思った。 ”わが胸の 燃ゆる想いに比ぶれば 煙は薄し 桜島山” 西郷隆盛 そこで、私も具雑煮と高松・讃岐パーテイーへ向けて一句。
”我が胸の 燃ゆる想いに 比ぶれば チャンスは薄し 彼の地彼の街”
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「木になる竹の子」 参加しそこねた宴の報告くらい気になるものは無い。 「わしは竹の子じゃ」(その心は、”きにならない”)と言ったばかりな のにである。 行きたかったパーティーの事は、時には”竹の子でも木になる”らしい。 次のパーティーは忘年会かな? JG5RIKさん パーティーのざわめきと、バーベQの匂いが伝わっ て来るようなメールでした。 うまい物を喉に通して、その後にまた喉から手が出るほど欲しかったプ レゼントの時計。重ね重ねおめでとう御座います。 面白い時計なら、どんなものか紹介して下さい。私のシチズンのヨットタ イマー(アナログ、デジタル、方位角度のベゼル付き)はついにご臨終で す。 奇しくも高木裕さんも、これと同じ物をはめていました。しかも色まで 同じ金色でした。(金色の針は実に見にくかった) そんな訳で、次のヨットタイマーを物色中です。 JH1OVA川口さん 貝殻島だよりも久しぶりです。 「お台場」人気も週刊誌等では目にしていました。 都会の喧噪を避けて若者が手軽に行けるお台場が、喧噪の地になりつつ ある現状は、マスコミで穴場と紹介されたら、もう穴場では無くなるお笑 いにも似ている。 我々の瀬戸内海のある海水浴場で、スイマーがこう言った。「水がきれ いだと言うので来てみたら、汚れている」 答えに窮したおっさんがこう言った。「おまえらが来るまでは奇麗だっ た」さて、テフロンコーティング「マイクロロン」とは、如何なる物です か。 詳しく教えて下さい。 JA5CLB 河野阿波守 殿 会えなかったのは残念でした。アンテ ナを5,6本立てたベンツも見てみたかった。 さて、「コンクリートの石川」と誰に聞きましたか。塩飽君かな? 私が建造中のあの頃、確か小松島あたりでも建造中の大学の教授グルー プがいましたが、その後、無事に進水(不幸に浸水)したのでしょうか。 我が艇の兄貴分は、現在金比羅宮表参道にある「船の博物館」とやらの 屋上に寄贈し、鎮座まします「秋津洲丸」です。 私の艇は、太平洋就航に成功した2例目の船です。 私より後に進水して、私より一足先に出発した姫路の「サンメイト号」 は、残念な事に、グアムはアガナのボールパークにある「自由の女神像」 の目の届くところに、座礁しました。海からも陸からも離礁に失敗して、 船体放棄に至り、観光局の「景観を壊さないように・・」との指示で、 コツコツ造ったヨットを今度はコツコツ壊して、残骸を小ブロックにし て、珊瑚礁にばらまいたそうです。 「ビヨン・ザ・リーフ(珊瑚礁の彼方に)」良い歌ですがねぇ・・。 フェローセメント・ヨットは一時流行りましたが、私にとっては自作ヨ ット時代のベルエポックでした。
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「三日見ぬ間の桜かな」
”パケットや 三日見ぬ間の メールかな”
はかない命の代名詞として、三日も持たない桜を引き合いに出したもの だ。 私がアクセスするRBBS局は、メールの保存は3日間までとなっている。 従ってヨットフォーラムのメールは、新しい書き込みが無いので、昨日 (10/5)で、全部消えてしまいました。 クラッシック・ベンツこと河野阿波守隻腕殿のメールは、待望久しいメ ールになります。この中にまたまた久し振りに聞く友人の消息。ものは言 ってみるものだとつくづく感じました。それにしても、税理士の先生とは。 もともと塩飽姓は海賊の出なので、中野さんを略奪したかな・・・。 さて、これも阿波守殿のメールのお陰ですが、赤瀬コナウィンドの消息 を聞いたのを奇縁に、念願であった兄弟仁義の事を想い出した。 あれは何時のことだったか、我が艇と同じ名前の「コナウィンド」がいる と聞いて、兄弟の盃を挙げましょうかと、赤瀬オーナーに打診したら、そ の時は都合がつかなかったので、そのままになっていた。 この10日、体育の日にもかかわらず、引っ張られる予定が今の所無いの で、これ幸いと思い、再び兄弟仁義の件を問い合わせたら、「OK」の返 事が返ってきた。 行くぞ! 仁尾ヨットハーバーへ! 体育の日は、兄弟仁義のバーベ Q。
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「四国のみんなに会えるかなぁ」 鞆の浦から南南東の方角に、西向きに緩い勾配の稜線を見せて一見富士 山にも似た紫雲出山(352m)が見える。四国は香川県三崎半島であ。昔は 良くここの麓の港へヨットを置いて、紫雲出山へ上り、その日の内に鞆の 浦へ向けて帰るという離れ業をやっていた。 なぜそれが離れ業なのかと言うと、エンジンがついて無かったからであ る。 Y−19と言う、ベニヤ板製の自作ヨットで、金が無かったことと、遠 方へは行かないだろうと思ってエンジンを搭載しなかったのである。 ところがドッコイ、視野に入る所は何処へでも行ってみたくなるのが人 情だ。 近辺の島々はほとんどセーリングで制覇したので、今度はあの気になる 山の麓へ行ってみようと計画を立てた。 船舶のまだ少なかった時代とは言え、そこへ行くには本土沿岸と四国沿岸 の二つの航路筋を横切らないといけない。 まともな風が吹けば、朝早く出れば、夕方には帰港出来る距離であるが、 瀬戸内海には特有の朝凪夕凪があり、どのあたりで日が暮れるかが心配の 種であった。 彼の地には、「鬼が棲むか蛇が棲むか」とにかく行ってみたい。それが四 国であった。東の裾野の箱崎には、チョンマゲに玉手箱を持った今浦島太 郎爺さんが何年か前までは居たと言う。 とかく人間は、隣の芝生は青く見え、対岸の街にはベッピンが棲むと思 うものである。 この時、珍事が発生した。 現在ワントン・ヨットを所有する(あくまでも操縦でなく所有なのだ) ヨットマンが、年の功を盾にヨット仲間にこう言ったと後で聞いた。 「石川等は、危ない事をしようとしている。みんなで止めようやぁ」 彼にとって、瀬戸内海横断は「危ない事」。太平洋横断は「無謀な事」。 世界一周は「狂気の沙汰」なのである。 何の事は無い、自分の出来ない事をやる人を、「無謀な狂人」と呼ぶらし い。 仁尾への兄弟仁義航海。 四国のみんなと会えるかなぁ。
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「ヨットで鞆の浦へ行きたいのですが、入港の道順を教えてくれませんか。」 何時だったか、そんな用向きの電話が掛かってきた。 いろいろ聞く内に「奇しくも同じ名前なんですよ」と言われるから、思 わず叫んでしまった。 「同姓同名ですか?」 ヨットの名前に同姓同名も何もあった物ではないが、話の噛み合いの悪さ でそう言ってしまって、あとで真相が判って苦笑した。 ”KONA WIND” 仁尾マリーナに居る赤瀬オーナー所有のヨッ トと私の所有するヨットの名前である。 瀬戸内海という河を挟んで向き合う鞆の浦と仁尾は、それこそ一衣帯水 の仲である。何時か兄弟の盃を交わしましょうとの約束が、ついに今日 (10/10)叶った。 17マイル、約3時間の距離を、東より4m/sの風をアビームに受けて、 快調にぶっ飛び、2時間半でマリーナ入り口に到達した。 快晴の空の下、紫雲出山の裾野を左手に眺めながら、大蔦島に照準を合 わせてクルーが舵を執る。風よし、天気よし、絶好のセーリング日和であ る。 流石に白いセールが点在する。その中を出迎えてくださった赤瀬コナの 誘導で、ハーバーのゲストバースへもやいを取った。 出会い頭に、長川さんのYUMEとあった。上架中のHATSUもいる。 整備して今日下架して、高知へ回航すると言う、「蒼海」の深川さんと 知り合い、最近ヨットを始めた尾道の佐藤君夫婦に太平洋の体験セーリン グさせ て貰う約束を取り付けた。 陸上では、ハーバーの一角にセットしてあるバーベQコーナーで、兄弟 仁義パーティーと相成り、駆けつけて下さった「天霧」のオーナー氏家先 生とそのクルーも加わって、実に楽しい一時を過ごした。 赤瀬さんや氏家さんの口添えで、ハーバー係留賃とかバーベQコーナー 使用賃は一切免除と言う特典を得られて、気を良くして帰路の帆を揚げた。 「折角遠方から来られたのだから・・・」というハーバーマスターの融通 に快哉の声を上げた。 忘れるところだったが、赤瀬コナウィンドさんへのお土産はコーヒー豆で あった。 ハワイ島で産する「コナ・コーヒー」の焙煎物である。
赤瀬 「このコナ・コーヒーの豆、どうやって飲んだら美味しいでしょう か?」 石川 「やはり、粉にすると良いでしょうね」 嗚呼。 ^^
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「全国区のたこ焼き屋」
ヤベーさん、9日に仁尾マリーナへ行かれたそうですが、たかが一日のズ レといっても360分の1日ですから、ニアミスでしょうね。 今度は、たびたび行きますよ。仁尾と鞆の浦は、「一衣帯水」ですよ。 マリーナの、のどかさが気に入りました。 紫雲出山の北東の裾野に箱崎とかいう港があり、浦島太郎の伝説の発祥 地と聞きますが、こののどかな土地柄、まんざら嘘ではないなと、うなず けます。 さてさて、昔むかしの事ですか、仁尾界隈に、他県遠隔各地からわざわ ざ食べに来ると言う「たこ焼き屋」がありはしませんか。 TVで放送されていたのを、しっかり見てしまいましたが、縁無き物と馬 耳東風と聞き逃していました。 マリーナに上陸してから想い出すと言うのも縁浅からずと、改めて食べ物 の恨みの深さを知った今日の航海でした。 「後悔先に立たず」 どの様に有名なのかは、すっかり忘れてしまいましたか、気になるたこ 焼きである。 美味しいのもさることながら、球体がデカイのでしょうかね。 誰か情報を下さい。
”仁尾に来て なにやら悔し たこ焼き屋” 泥舟
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「情報とは、なさけのしらせ」 たこばん情報 インターネットでも得られない貴重なたこやき情報をありがとう。 「たこばん」か。 予約か。 気に入った。 近い将来、是非行きます。 ところで、何処へ電話すれば良いのだろう? 熊さん&エリエール情報 熊さん、無事に里帰りを果たしたか。良かった。ヨットフォーラムで今 年一番気を引いたヨット&人物だろうね。 阿波守を始めヨットフォーラムの皆さん、熊さんに表彰状でも出しますか。 「気を揉んだで賞」 サテンドール&山崎熊五郎 殿 エリエール/ティッシュペーパー/木製52フィート/伊予三島 連想遊 びで松山市の池川君を想い出した。キャナル30で冬の太平洋横断に出発 し、ロ ールオーバーしてマストを折りながらサンフランシスコへ到着した 御仁だ。 出発前の彼に、ひょんな事から出会い、出国の足しになる様な事を話し てあげたかなと思ったら、太平洋横断のセオリーに無い秋ぐちに出ていっ た。 折れた半分のマストで頑張ったので、別の意味で有名になった。 彼がある日雑誌に登場した。製紙会社の専務か誰かのでかいヨットに常 駐管理人として優雅に生活しているといった記事だった。 エリエールはティッシュペーパーの名前だし、伊予三島は製紙会社で有 名。 木製のでかいヨット。多分池川君の管理していたヨットだろうと予想して、 伊予三島の石川順二さんに電話した。 「その通りです。」との返事だった。 「順和」の石川さんとも、盃を交わさなければならなくなった。
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「屋久島航海の思い出」
何でいまごろ、屋久島なのか。 ときどき覗くNATUREフォーラムに、近々屋久島に移住するご夫婦が メールを書いている。内容は、屋久島の自然礼賛である。 読み進む内に、若かりしころの自作ヨットの処女航海の事を想い出した。 処女航海で沖縄へ行こうとしたのが、そもそもである。 ちなみに、戸塚宏さんが、ウィング・オブ・ヤマハ号を駆って、シスコ−沖 縄間の太平洋横断シングルハンドヨットレースで優勝した沖縄海洋博に先立 つ2年前、1973年の夏のことである。 これは、エンジンベットにガタがきて、エンジンが踊り、またプロペラシャ フトが抜けて海水の逆噴射を経験したりの波瀾万丈のシェイクダウン航海で あったのだが、まずは、当時の新聞のスクラップ記事から紹介しましょう。 各局、対岸の火事だ! 大きいほど面白い。
宮崎日日新聞 (1973年8月2日)より 1日午前零時過ぎ、串間市福島港入り口でシケのため避難しようとしたヨ ットが浅瀬に乗り上げて座礁。近くの漁民が救援し乗組員も船体も無事だっ た。 オーシャンレース用のセメントヨットで船体32フィート、福山市鞆の浦 の石川さんら四人が乗り組み、七月二十七日に福山市を出航、往路一週間の 日程で沖縄へ向かっていたが低気圧の通過で海が荒れたため避難途中の事故。 深夜の事でクルーは一瞬どきり。でも地元漁民の適切な処置で離礁出来、 こんなところまで来て海の男の友情にふれるとはと、石川さんは感激してい た。 同じコラムの欄に、別の記事が載っている。 「二遺体を収容・福岡の豪雨禍 三十一日未明の集中豪雨で行方不明にな っていた・・・・・・・。これで同県の死者は二十人、行方不明八人となっ た。」 我々の乗ったボルテ・チノ号は、福岡に豪雨をもたらした低気圧から南西に 伸びる寒冷前線の南端部分に、宮崎県都井岬付近で遭遇したのだった。 事の真相と、真夜中の阿鼻叫喚の修羅場は、次号以下に記する。
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「おもろいレース・アイデア1」 JK4WOY 小林君 芦田川の上流で、君の、海に、ヨットに寄せる 熱き思いを今更のように感じ入っておりますぞ。 面白いレースには、私も同感です。 勝った負けた、切った張ったも良いけれど、楽しいお祭りレースも有っ ても良いでは無いかと、私も常日頃気にはしています。 実は、1010クルーズの時、仁尾マリーナ・オーナーズクラブ会長の氏 家先生に、及ばず乍らと「おもろいレース」のアイデアを、偶然にも開陳 申し上げておきました。 長川さん、ヤベーさん 実現に向けて、お力添えをよろしく。 これは、グアムのマリアナ・ヨット・クラブでの目撃、体験したレース です。 5月のイースター祭りのクラブ行事だったと思いますが、老若男女こぞ って楽しんでいたのが、好印象でした。 まず、ナンバーを書いた椰子の実を、コミッティーボートがアトランダ ムに海上にばらまいて行くわけです。 ヨーイ・ドンでホビーキャット16を浜から発進させ、椰子の実を拾い に行くわけです。椰子の実のナンバーは、嬉しい賞品の当たる番号なので す。 仁尾方式では、これをクルーザーでやるわけです。ナンバーはボールに 書いて、ばらまく訳です。ドッヂボールでも良いでしょう。 ルールは、ポート、スターボーは勿論ですが、衝突被害を避けるために、 目的のボールの獲得の権利は、2艇身サークル・オーバーラップのルール を使う訳です。 抽選番号のボールですから、何がなんでも一番になる必要は無いのです。 人より遅く走って、残り物のボールを拾っても、抽選ですから残り物に福 があると言う楽しみがあります。 こんなレースだと、レースそのものより、むしろレース後が楽しみです。 ヨットは早くなくても良い、ボールを拾えば良いのだ。ただし、早いヨッ トはボールを沢山拾うだろうから、ボールの獲得数制限は必要かも知れま せん。
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屋久島航海 その2 「前進か死か」
1973年の初夏、あるテレビ局から、こんな話が持ち込まれた。 「2年後に、沖縄海洋博覧会が開催されます。そこで、沖縄へ行かれる のであれば、ヨットで沖縄のお土産を持ち帰って貰えませんか。そのお土 産はテレビ局が、沖縄で用意しておきます。ヨットで持ち帰ったお土産を、 抽選で視聴者の皆さんに差し上げると言う企画です。」 瀬戸内海は竹原市の沖合いにある、毒ガスで有名な大久野島で、盆休み にテレビの生放送があり、それに間に合うように帰って来て貰いたいとの 条件付きであった。 宮崎、南郷町は無事クリアーして、7月31日の夕方、野生馬と蘇鉄の自 生が観光の目玉だという都井岬にさしかかった。空は分厚い雲に覆われて、 でかい灯台の強力な光をガスが遮り始めた。やがて幔幕を垂らしたように ガスが灯台を覆い隠し、一条の光芒も外に出なくなった。 風は無く、不気味な漆黒の夜を迎えた。空と海と陸岸の区別がつかなく なるのに、それほどの時間は掛からなかった。 都井岬を廻ったころから、志布志湾のドンづまりにある街の光が滲みだ したと思ったら、北西の猛烈な雨と風が襲いかかってきた。 「しまった!」と思ったが、もう遅かった。直径15マイル程の志布志湾 の中を、この風で前進しすぎても危険だし、後退すれば岬にぶつかる。 舵を執りながらコンパスを見ようとするが、集中豪雨の大粒の雨滴に目 を開けておけない。 前進か死か。
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屋久島航海 その3 「踊るエンジン」
普段は「何もせん長」でも、船長と名が付けば全ての事に責任がある。 始めての夜の嵐に遭遇して、全員パニックに陥って、何をどうして良い か判らなくなった。 後ろに、暗礁があるので、風圧で流されては危険だ。対岸の陸岸までは 距離が有るので、エンジンでバウを風上へ向けて、ゆっくり前進しなが ら、前線の通過するのを待つ事を考えた。地理の不案内な土地柄、まし てや寄港する予定の無い場所だから、詳しいチャートは持ち合わせてい ないので前にも行かず、後ろへも下がらず、ただひたすら神が悪戯に飽 きてくるのを待った。 この時である、エンジンがベッドの上で、上下左右に踊っている。 エンジン本体とベッドを止めているボルトも、グサグサにゆるんでいる。 ただエンジンの重さだけでどうにか鎮座しているようだ。 エンジンがプロペラシャフトをメチャメチャに揺するから、スターン チューブから、海水がピュッピュッと絶え間なく入り込んでくる。ビル ヂは、瞬く間にエンジンの底を洗う。 心臓は飛び出さんばかりに波を打つ。ひどい時はコクピットからバウ のクルーが見えない。頭から流れ落ちる土砂降りの雨でコンパスも良く 見えない。 クルーへの指示で、声は枯れるし、心配で胃が痛い。侵入するビルヂ で、すぐにエンジンの底が浸かる。アカを汲んで外へ捨てるように、エ ンジンを止めないように、指示しつつキャビンの中をのぞき込んで、目 を疑った。 十年にも及ぶ腎臓病の闘病生活から何とか解放されて、「病み上がり で毎日が暇だから・・」と言って参加した友人が、この修羅場の中で、 スイカを割って喰っていた。
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屋久島航海 その4 「座礁だ!」
篠突く雨(篠竹を束にして突き下ろすように激しく降る雨)、バケツをひ っくり返したような雨。 要するに、めちゃくちゃな雨と風に遭遇してしまった。しかも狭い湾の 中で、四周の視野を遮られて、永遠に続くかと思われる時間と嵐に耐えな がら、対岸に乗り上げないようにスピードをコントロールして、苦難の過 ぎ去るのを待った。 それが、2,3時間だったのか、4,5時間だったのか、真夜中になっ て前線が通過していった。点在する町か村か集落かは判らないが、所々に 灯が見えてきた。 近くに紅い灯台の灯が見えた。低いから、防波堤の灯台であることは間違 いない。町の名も判らないが、緊急に入港して、へとへとになった身体を 休めようと、オールハンズ・オールデッキ体制で安全を確認しながら、港 口へ向かった。 自分の位置から真っ直ぐ灯台を目指して走っていると、バウが当たりそ うになる頃、通せんぼするように一文字堤防が迫って来て慌てて舵を切っ た。 夜の町を海から眺めると、当たり前のことだが、光だけしか見えない。 輝きに幻惑されて、その光と自分との間の海面にどんな障害物があるのや らさっぱり判らないので、危険である。 防波堤の紅い灯台は、入港時にはそれを右に見て入るのが、原則で有る ことを、母港の灯台の記憶を頼りに想い出して、無事入港を果たした。 これで今夜は泥の様に眠れるぞと、最後の力を振り絞り、暗い港に係留場 所を探した。 「船の揺れが、何かおかしいぞ。」 衝撃は無いが、何か固い物の上に鎮座したような感触である。 「座礁だ!」 _ |
屋久島航海 その5 「真夜中の大捕り物」 安全な筈の新設港で、バラストの底が座ってしまった。 「重い物を捨てろ」と言っても、ビール瓶をもったいなさそうに10本 や20本捨てたって座礁したヨットが浮いてくれるわけが無い。 積んでいたテンダーを下ろして、これで離れた所へアンカーを打ち込み、 手でロープを引っ張って艇の移動を試してみた。難なくロープが引けるの で、簡単に離礁出来たと喜んだのも束の間であった。何回トライしても、 アンカーが利かない。ロープをかなり長くしてみても、スルスルとアンカ ーの方が寄ってくる。 潮の流れを見ると、まさしく港口の方へ流れている。引き潮だ。万事窮 す。 海底を掻かないアンカーに決別して、漁協の警備員室らしいほのかな明か りの所まで助けを借りに、テンダーを汗だくで漕いだ。 ややあって、何か少なからぬ人影とサーチライトを着けたジープが現れた。 サーチライトのビームが我々のヨットを捉えた。こぼれる光で、荷揚場の 方を見て呆然としてしまった。 消防署のジープ、警察の車、消防団の消防車と人、人、人。その数40名 程。 「鼠小僧、ご用だ!ご用だ!」 大捕物である。 その内、わざわざ駆けつけて呉れたのであろう2,3隻の漁船が、引っ張 る為に近寄って来てくれた。 この時、異変が起きた。 すうーとヨットが浮いて、軽く流れ始めた。 自力で荷揚げ岸壁に横付けしてから、警察署長に呼ばれた。事情聴取であ る。 所長いわく。「自力で離礁したようだから、今回の事は不問に付す。しか し、これだけの人間が出動したんだから、関係者の人件費を考えたら馬鹿 にならないぞ。」 冗談めかして、付け加えた。 「消防団に、焼酎の一本も届けといたら」
屋久島航海 その6 「カツオと焼酎」
「焼酎の一本も、届けといたら・・・」 地方柄くだけた言い方である。早速酒屋へ行って、特級酒を3本物色し た。 配達を依頼したところ、「何の用(事情)で・・・?」と聞くから真夜 中の大捕物の一件を話した。 オッチャン曰く「そんなら、焼酎がええで。清酒なんか飲まんで。」 かくして、焼酎を警察署、消防署、消防団へ1本づつ配達して貰って 「この一件は、これにて落着」。 しかし南国の人々は、まるで焼酎のようである。 ホコホコと心暖かく、後味が好い。 改めて、宮崎県串間、福島の皆さんに、その時のお礼を言いたい。 (誰が、RAMやROMの各局、知り合いでしたら、よろしく伝えて 下さい。) 話は前後するが、大捕物事件がかたずいて、崩れるようにバースに横 になったのが、午前3時頃であった。 漁師町の朝は早い。ヨットの大きな揺れで目を醒ました。上向きに寝て いた 私の視野に天井と半分開いたスライディングハッチが映った。そして、 のぞき込んでいる数人の人と目線が合った。 「ドキッ!!」 何でも、この港が始まって以来、始めてのヨットだと言って、昨晩 の事件を伝え聞いた人々が、散歩がてらにやってきて、珍しい鯨でも 見るよう に、触ったり眺めたり、ついにはハッチを明けてのぞき込 んだりしていた。 ついでに、この港の事情を聞いてみた。 この港は、新設の港で海底までがコンクリートで固めてあると言っ た。 道理でアンカーが海底を掻かない訳だ。 そして、この港は小さい河口の幅いっぱいを利用した港だと言う。 だから、水は常に海に向かって流れているので、一見引き潮と勘違い させられてしまった。 実際は、運良く満ち潮だったので、自然に離礁したという訳である。 この時、昨晩の消防団の団長が左腕に子供を抱き、右手にカツオ を一本下げてやって来た。短パンにランニングシャツのラフなスタイ ルだが、お世話にな った負い目もあって、こちらも少し緊張して構えた。 彼の言葉を待った。 「これでも、喰わんか。」
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