海・千夜一話物語 第201話

              屋久島航海 その7 「鹿児島駅の親切」

 "待てば海路の日和あり" 嵐は去った。  串間港を出て、オールナイトの

航海で、種子島の南東に位置する熊野港 に入った。  

 計算外のトラブル(それがシェイクダウンと言う物かも知れない)が多すぎ

て、往路メンバーの有給休暇に後が無くなってしまった。沖縄はおろ か第

二案の奄美大島さえも行けそうに無い。TV局に頼まれた持ち帰りの 沖縄

土産どころではなくなった。

 これ以上南下は、断念した。 この航海は、4人で運行する。片道4人編

成の乗り組みメンバーの内、 2人(私とW君)はレギュラー、往路と復路で

他の2人が交替する。  復路のメンバーは、鹿児島から飛行機で沖縄へ

やって来る。急いで、彼 等に連絡を取り、種子島へ来るように伝えなけれ

ばならない。 今頃は南海の夢を見ながら鹿児島行きの夜行列車の中であ

ろう。

念のた め家に電話を入れてみたら、「もう、とっくに出ました。」と、にべも

ない。

一計を案じて、国鉄鹿児島駅へ電話した。  「かくかく、しかじかで、明日

朝○○時着の列車が着いたら、構内放送 でに乗客の○○さんに、伝えて

くれませんか。とりあえず、予定を変更し て種子島の熊野港へ来いと。」

快く承知してくれたのだが、一抹の不安は隠せない。  

翌朝、昼まで待って交替クルーが来なかったら、とりあえず屋久島へ向 か

う事にして、朝食の支度に掛かった。 その時、「オーイ」と我々を呼ぶ声が

した。

岸壁を見ると、そこに彼等が 立っていた。  見事な連携と臨機応変な行

動に感心した。  

 今の世なら、携帯電話で何処へでも連絡出来るし、心配も解決も早いの

だが、まさに今昔の感ありだ。

 

<<<ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦>>>

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海・千夜一話物語 第202話

       屋久島航海 その8 「屋久島、温泉、目の保養」  

  「一月に35日雨が降る」と形容されるのが、この屋久島である。  

 また、九州で一番高い山がここにある。宮の浦岳(1935m)である。ちな

みに、阿蘇の外輪、久住山は1791mである。  水が豊富に有ればこそ、

樹齢1000年以上もする屋久杉が育ち、また ダムがあり、屋久島電力と

言う発電所まであると聞いた。産業があまり無いから、水と電力は余って

いると言う。  温泉は至る所に湧き、黒潮に乗って来る回遊魚も飛び魚も

手当たり次第 だと聞く。生活に何不自由は感じない言う。  唯一難を言え

ば、ここは台風の通り道だが、建造物を頑丈に造っておけ ば、まず心配

はいらない。飛行機も就航しているので、交通の不便は感じ ない。  ハイ

ビスカスやガジュマル樹が優しく歓迎してくれる。 この屋久島では、島の東

に位置する安房港に停泊した。

この入港時に、 岸寄りをセーリングしていたら、見張りのクルーから叫声

が聞こえた。

 「海底が見える!」 慌ててタックして沖へ逃げた。その時、すぐ測深儀で

調べたら、15m あった。

 瀬戸内海で、底が見えた時はもう後が無い。座礁だ。  安房でお世話に

なった、釣具屋の山田さんに、この事を話して、笑われ た。

私   「ここの海は、透明度が良いですね。15mの海底が見えましたよ。」

山田 「安房川の上流で、今砂を執っていますいますから、濁っていますよ。」

 さて、本題の"温泉、目の保養"について語りましょう。  屋久杉ランドの

帰り道、山田さんがある温泉に案内してくれた。

 昔は完全な露天混浴風呂だったが、今は小屋掛けして、浴槽の真ん中

を 松の薄い板で仕切り、男女別々の間取りになっている。  この小屋は、

男女が左右別々の入り口から出入りするから、真ん中の仕 切が、各部屋

では奥になる。  身体を洗うとき、当然の事だが出入口の方へ向いて洗わ

ない。人間の心理として、出入りする人々にジロジロ見られるより、奥の方

に身体を向け て洗うのを誰でも選ぶ。

 さて、この真ん中の板壁に幸運の女神が宿っていた。

 「保養の目」なる 節穴が開いていたのだ。この穴に、心静かに目線を通

せば、もろにこちら 向きの婦人の美しい姿が見える。嬉しいことに、地区

民の築いた湯船は、 予算上の問題かどうかは知らないが、湯船より洗い

場の方が高くなってい るので、身を隠す一片の陰もない。 地区民は只だ

が外来者は20円貰うと言われたが、100円出して「目 の保養させて貰っ

たんだ、釣りはいらねえよ!」と肩で風切って帰って来 たかった。

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海・千夜一話物語 第203話

屋久島航海 その9  「スクリューが抜けた!」

 八月初旬、遠洋漁業の船が、お盆を古里で迎えようと、数カ月振りの帰

港を急ぐのがこの頃である。

 我々は、種子島、屋久島の平穏な楽しい旅を終えて、弱い風ながら黒潮

の流れに助けられて、都井岬沖まで帰ってきた。  ところが、ここまで帰り

来て、また御難である。  往路は豪雨の難、復路は無風、漂流、座礁の難

が迫ってきた。

 小笠原高気団にすっぽり覆われ、カンカン照りの上、頼みの風が弱くな

り、やがて完全に凪いでしまった。  困った事に、ヨットは黒潮に乗せられ

て、岩礁の方へ運ばれて行った。 エンジンは、ベッドの上で踊りまくり、お

陰でシャフトとカップリング の締め付けがゆるみガタガタになっている。締

めても締めても効き目が無 く、シャフトが抜ける恐れが出てきたのでプロ

ペラを回せない。

 見渡せど曳航を頼める一隻の船の影さえ見えない。

 とりあえずハンカチ大のC旗を揚げておいて、修理作業にかかった。

 この時、突如現れた500tクラスの遠洋漁業船が、コースを変えて近 づ

いて来た。 事情を知って、曳航をしてやろうと言ってくれた。  彼等のホー

ムポートは、ここから16マイル先の宮崎県南郷町目井津だ から1時間少

々だと簡単に言ってのけた。 「さあ、このロープに船体を繋げ」と言って手

渡されたのが、直径60 mmもありそうなデカイロープであった。 曳航準備

が整った。漁船がスピードを上げた。

「ボーン!!」  何とその太いロープが見事に切れた。

 FRPの軽いヨットと思ったのだろうが、こちとらは7tもあるので、 一気に

スピードを上げると危ないと言うのも聞かない。

早く帰りたいの一 念である。  船員にとって半年振りの古里だ。

 帰心矢のごとし。  もっと太いロープを投げて来て、これなら大丈夫だと

ばかりに、こちら の注意も聞かず、ヨツトの3倍のスピードで曳航に掛かっ

た。

「ドビュー!!」 スクリューが抜けた。

 スターンチューブから海水が噴水の様に吹き上げてきた。

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海・千夜一話物語 第204話

屋久島航海 その10 「金なんかいらない」  

プロペラシャフトが抜け落ちた後の穴から、海水が噴水のように吹き上 が

って来た。

パニックになったが、誰かが機転を利かせてそばに落ちていた雑巾をそ

こへ押し込んだら、噴水が止まった。 スピードを落としたって、脱落したプ

ロペラが返ってくる訳は無いので、 スピードの交渉を諦めた。

やがて漁船員の家族が出迎える宮崎県目井津港の岸壁に無事着岸した。

家が近い乗組員の家族は、荷物を持ち帰るためにリヤカーで来ている。  

彼等は半年振りの帰郷だ。到着したその瞬間から、再開の嬉しさと下船

の準備でてんてこまいを演じて、我々に構っている暇は誰にも無かった。

 準備の出来た人から、三々五々散らばっていった。

 さて、ここで気になるのは、曳航の謝礼である。瀬戸内海だとちょっと引

っ 張ってもらっても二万や三万円は取られるが、こんな外洋での曳航の相

場なん て解るわけがない。恐る恐る船長にお伺いを立てた。

 船長曰く 「そんな物はいらん!」  後刻、他の者に訪ねたら、こう教えて

くれた。 「人を助けておけば、いつか自分達も助けられると信じている。」

雑魚で生活している瀬戸内海の漁師と違って、でかい魚で勝負する彼等

は、 心まででかいのかと、独りよがりの感心をした。

気になるプロペラシャフトは、幸いにもラダーに引っかかっていたので、 潜

って元の穴に差し込んで、仮止めにしておいた。

ホッとして、やや放心状態の我々に、ある乗組員の家族がこう言ってく れ

た。

 「あんたらー、風呂へ入りに来んかね。」 大いにお言葉に甘えて、近くの

彼の家の風呂を使わせて貰った。  家族風呂は、どの家でもさほど大きな

物ではない。一人一人順番に入ら せて貰って出てくると、順番にどこかへ

消えていった。 最後に風呂を使った私に、家族の人の声が聞こえた。

 「アンタも、こっちへ来て、ビールでも飲みなさい。ご飯食べなさい。」

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海・千夜一話物語 第205話  

     屋久島航海 最終回 「沖縄のみやげ」

  「2年後(1975)に、沖縄海洋博覧会が開催されます。この夏、手製の コ

ンクリートヨットで沖縄航海された方が、この広島県におられます。そ のヨ

ット で持ち帰った沖縄のお土産を、テレビをご覧の視聴者の皆様に抽選で

プレ ゼントいたします。」  「それでは、昨日沖縄航海から無事に帰ってこ

られましたボルテ・チノ 号のキャプテンに登場して頂きましょう。石川さん、

どうぞ!」

 ヨットは屋久島でUターンせざるを得なくなって、前日、番組出演に間 に

合うように帰って来たわけだが、我々が持ち帰るべく準備していた沖縄 の

お土産は、空輸されて既に現場へ到着していた。

  このお土産を、波涛万里を超えて、さもヨットで持ち帰ったように演技 さ

せられるのだから、照れくさくてしょうがない。

  ここ広島県竹原市の毒ガスで有名な大久野島の浜辺で、お盆の中日に

2 日に渡って生中継された大阪朝日放送(?)の"プラス1(ワン)"と言う 番

組の出演風景である。  当時有名だった乾(イヌイ)某さんの司会で進行す

るお昼の番組で、本来 は近畿地方で放送されている番組を、こちらの地

元放送局RCC中国放送 (?)の制作協力により、生番組で放映された。

   乾 「沖縄航海は、如何でしたか。」

   私 「沖縄は、航海(後悔)の連続でした。」

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海・千夜一話物語 第206話

「H系週刊誌の私の所有物」  

近所にラーメン屋がある。

気に入っているから、ちょくちょく利用する。

 お客さんは待つ間、新聞とか週刊誌とかを読む。

こんな所の週刊誌など はいちいち活字を読まなくても目で追うだけで済む

お色気の話題と写真満 載のH系の物が多い。 そんな記事の中にも、面白

い物もたまにはある。

 「私の所有物」だったかどうか、タイトルはすっかり忘れてしまったが、 H

な週刊誌であったことと、内容とをオーバーラップさせて、可能な限り の想

像力を駆使しても、この程度のタイトルだったとしか思い起こせない。 閑話

休題。内容はこうである。

 昭和37年に長さわずか5.70mのマーメード号で、世界で始めての 単

独太平洋横断を成し遂げた、堀江謙一さんのことは、「太平洋ひとりぼっ

ち」の本になったり、石原裕次郎の主演する映画にもなってつとに有名だ。

その彼が、大切にしている物の紹介である。  94日も掛けて渡った太平

洋の10000Kmを、ずっと一緒につきあ ってくれた、鍋や釜も歯ブラシも

みんなサンフランシスコへ寄贈したが、 これだけは持ち帰ったという。

 それは、端っこが切れ切れになり、横糸だけがひらひらするまで摺り切

れたNORCのエンサイン(旗)である。 「次の冒険に出発しようとするとき、

きまって不安になる。その時、こ のエンサインを見ると勇気が出てくる。み

んなが励ましてくれたではない か、一人では無いんだと、励まされる。」  

 パイオニアの苦しみと孤独を、垣間みる思いで、ラーメンをすすった。

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海・千夜一話物語 第207話     

  「IQ航海日誌」その1  JI3HHC 伊東P−31

  まずは、今回のニュージーランドの個人旅行の前編を書きます。

 以前よりヨットやハーバーの事が知りたくてNZには行きたかったので す

が、 機会が無くやっと今回長期休暇が取れましたので、実行する事と致し

まし た。

 9月26日NZ航空で、関西国際空港よりオークランドに行きます。約 11

時間程度航空券は28日間のFIX(出発日と帰国日の便が決められ てい

る)、季節料金が設定されていて、6月が一番安く、12月が一番高い、 5

段階に設定されています。探せば結構安く手にはいるとお思います、昔 と

違い日本でも航空券が安く手に入ります  取り寄せ航空券とか、香港やバ

ンコックで買う値段と余り変わらないで す。

 ヨット仲間や、山仲間には、貧乏人が多かったので昔から知恵と情報の

出し合いで、安い旅行の仕方が先輩より伝授されておりました。

 問題は一応社会人ですので、休暇の問題これは苦労致しました。前回船

底掃除の時、台風のため休暇を残し大阪に帰りました、それ+お盆休みも

台風接近が有りましたので進んで休日出勤、+年次休暇、やはり28間の

FIX航空券をフルに利用したい。

 窓際族から一時は脱出しておりましたが、今回の旅行で再度窓際を覚悟

・ いくら日本が休暇に物わかりが良くなったとは言え、長期休暇は難しい。

その様なシガラミと出世を振り切り、止めてくれるなおっかさん、(懐古過

ぎるか?) 思いつつ上司に休暇願い、あっけなくOK、、(ムムム、やばい

かな)とは 思いつつ、航空券の手配に入る自分が恐ろしい、(後は野とな

れ山となれ) 居直り人生此処にあり。

 いきなり、書店に急行、旭屋・紀ノ国屋・その他梅田界隈を探し回り旅 行

解説書、地図(これが大切日本語で書いて有る、経験則)すばやい対応、

(仕事ですれば、)それからは、毎夜勉強の日々が始まる、後に続く心だ・・

 毎夜の勉強甲斐があり、無駄な情報有益な情報の選別を終了、学生時

代 の試験の山当てと同じ、後は実行のみ、(此ぐらい学生の時に勉強をす

れば 良かった)  今日からは荷作り、山屋の時の羽毛のシュラフ(寝袋)、

コッフェル(食 器)服装はジーパン、下着+防寒具、後は現地調達、忘れ

ずに国際運転免許、、 今回はレンタカーとバスで回る予定、宿泊はモータ

ーキャンプ場+モーテル B&B(民宿みたいな物です)日本と同じ右側通

行ですし、以前にイギリス で経験していますから、レンタカーでも大丈夫だ

と思いますが、、

 NZのビザはいらない(3カ月未満)、お金此は予算内にて、パスポート O

K 台風は去ったし、此処までは順調、ムム、言葉だ英語だ、とみに最近記

憶が 悪い、おっとり刀で辞書と格闘・難しい段々やる気がなくなる早く自動

翻訳 機が出来ないか。やはり、いぜんと同じブッケ本番、度胸と愛嬌で乗

り切るか、 と居直り戦術、此にて個人旅行の前編は終了、後は無事帰国

の心だ・・・!

 乞う御期待本編を

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〜風と波に乗せて貴局のボ−ドに〜JI3HHC△◆△

 

海・千夜一話物語 第208話    IQ航海日誌

 NZ旅行本編1 「IQ航海日誌」 その2 JI3HHC伊東P−32

9/29 23:30分オークランドで3日目の夜です。

まだ寒く小雨が 降ったりで、日本の3月始めくらいの天候です。今日はヨッ

トでランチク ルージングに行きました。 途中のハーバーに寄ったのですが

、デカイ、船、船、船、ヨットばかりが 約1000余り、綺麗なのから、古い物

、小さい船、50FTをこえるよ うなメガヨット、さまざまな船があり見てるだ

けであきません。  しかし感心する事は、寒かろうが雨や風が吹こうがPM

5時過ぎには湾 の中にヨットが出てきます。 さすがは本場、私の様な軟弱

セーラーとは大違い、歴史の差を感じます。

以前に行ったオーストラリアでもびっくりしましたが、ヨットに関しては、 ニュ

ージーランドの方が進んでいます。 海上に杭を打ちうまく、安く、しかも安

全に係留地を確保しています、な にげない、一つ、一つに感心しています

毎日港に行き、一人旅の気楽で、ブラブラ、ヨットレゲーのまねごとをし て

おります。 ただ思ったほど日本と比べ物価は安くないです。何せ消費税は

12,5% タバコは、日本円で480円くらい、レートは、NZ$=80円程で

両替 しています、 私の方もだんだん寒さになれ持ち前の好奇心で見て回

ってます。オークラ ンドをいったん離れ、ベイ・オブ・アイランドへレンタカー

を借り回る予 定です。 (北島の一番北端になります) なんとかレンタカー

を借りモーターウエイ1号線(車専用国道無料です) で、パイピアを目指し

出発、しかし予算をけちったのでボロ車、10万K mは超えている、しかもF

F車乗りにくい。ここで一号線に向かうまでに いきなり迷子、ついた先がオ

ークランド空港、あわててUターンしかも道 路標示が小さくて少ない。

4年ほど前にイギリスをレンタカーで回った時よりわかりにくいです。 こちら

の地図を片手になんとか1号線に乗れ一路目指せ ベイ・オブ・ア イランド

ヨットやボートの泊地として最高でオークランド周辺のヨットマ ン達が来る

処です。

しかし残念な事はヨットでなく車。 3時間程で(約260Km)パイピアに着く、

これからが一仕事 あちら こちらのHOTELを回り値段交渉、3ケ所程回り

見つける、Nz$55 (4400円)*3日・なんと名前がオーストリアホテルこ

りゃ?

早速明日の天気予報をTVで見る、悲しいかな理解する前に次に移る、な

んとなくわかったつもりで、ナットク!! 後は夕食を食いにいくぞ、相手は

英語、今日もメシにありつけるか心を引 き締め、いざ戦場へ一人行く。

10/1パイピアにて

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海・千夜一話物語 第209話 「IQ航海日誌」NZ旅行本編3

     「IQ航海日誌」 その3  JI3HHC 伊東P−34

NZも夏時間に変更になり、日本との時差は1H増の4時間、今の日本時

はAM2時頃か?今回のレポートはいよいよ本格的に売りヨットを見て来

ました。

ケリケリに知人ができ、行動の足場が確保されました、前に書いた50F の

英国の人と(世界2周をした方です)その奥様の紹介で、ホームステイ をし

ており、1週間ー10日はここでお世話になり、在ケリケリの日本人 会(と言

っても3名ですが)のサポートを頂き、ハーバーやBAY 中古 の情報また

はセーラーに会わせていただいたり、とても1人では出来ない 幅の広い行

動が可能になりました。

       1996年 10/14  ケリケリ、NZ にて

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       △◆△〜風と波に乗せて貴局のボ−ドに〜JI3HHC△◆△

 

   海・千夜一話物語 第210話   「IQ航海日誌」 その4

 昨日見たヨットは34F、19年前カウリの木に後でグラスを外に巻き

2重にハルを作ったタイプです。日本と違い良い船はメンテをしっかり

皆されており、 僕の好きなタイプ(女性ではありませんが)の姿がいい

ラインを持った船です。 日本では単に新しい船かつ良いと言う事が多

いのですが、やはり船はメンテそれと、材質でしょう、こちらではカウリ

の木が作ったボートは最近の物は無く(カウリの木の保護の為)ます

ます値が上がると思います、船価は6万5000$日本円で、520万

ぐらいでしょうか

10/13日 世界2周したトニーの奥さんと船を見に行きまbス、38ft

カッターリグ・ロングキール・スチール船 今オーナーが手入れ中、オ

フシアー 、ロングクルージングには最適で世界一周も出来そうです

(腕が入りますが?) NZ$で9万(日本円720万)完全メンテをして

です。船は古いのが多いです が手入れが良く、日本の船価で見れ

ば1/2程です但し話し合いで安くなります. 今回の旅行で多くのセ

ーラーやディーラーと知り合い、親切にそして友情を得て、 あと残り

一週間ですがヨットの好きな人々のNZ、ヨット天国です。オプアクル

ージングヨットクラブに行き、世界中から集まったセーラー達を見て

日本人が居ないのは、さびしい限りです。話しをしていると、いとも

簡単に世界を回っています。スケールが違う、歴史が違う、実感で

す。

ヨット、ホロホロの溝田さん、やはり世界のセーラーは楽しいです、

そして日本人で溝田さんの様な方が世界を回っていてくれて、少

々同国人としてうれしくもありうらやましくもあり、、、、

何時の日かと思う、今日この頃です。

        1996年 10/14  ケリケリ、NZ にて

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海・千夜一話物語 第211話  

            「青森の余生を長崎で」

 「江戸の仇を長崎で」と言う諺がある。

予期せぬ所で、仕返し(埋め合わせ) をするという意味だったと記憶してい

る。

10月もはや月末である。"出船入り船"ならぬ"出札入り札"の銀行へ行 っ

た。

ロビーの掲示板で写真ニュースを見た。その内の一枚は、まさに「青森 の

余生を長崎で」の光景のものでした。

 1988年(ソウルオリンピックの年)に、青函トンネルの完成で役目を終

えた青函連絡船「大雪(10000トン)」が、この度化粧直しされて長崎港で浮

かぶ ホテルとしてデビューというニュースだった。 観光名所の一つである

グラバー邸に近い場所へ係留されているそうだ。   何時だったか、このフ

ォーラムで話題になった事を想い出して、メイルUP しました。 他人から見

れば、何のことは無い事が、気になる今日この頃です。

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海・千夜一話物語 第212話   「IQ航海日誌」NZ旅行後記

    「IQ航海日誌 」  JI3HHC 伊東  P−35

10/17 ピーターさんの船底掃除を手伝う、45フィート自作艇。此の船で

タヒチトンガ等南太平洋を回ったそうです、

とても自作艇とは思えないほどの完成度で思わず聞き直したほどです。

そして今は、米国製の単発飛行機のキットを買い自作中驚くことは、庭に

飛行機を組み立てるために工作室を自分で作った、、、

見せてもらったが、クラウンなら4台は入るぐらいの大きさだパーツが整然

と並びジュラルミンの骨組みができていた。

来年には2座席飛行機が完成するらしい。

 話を元に戻して、オピートベイに振れ回しで係留してあるピーターさんの

船に、 テンダーで御夫婦と僕が船に向かう、準備をしてコンクリート(2トン

)から、 立ち上がっているもやいロープを外し、静かに後進をかける。 現

在工事中のヨットハーバーで、完成している給油ポンッーンに向かうラット

を、 握らせてもらったが直進性が良い、おそらくロングキールだろうバラン

スも良く 完全に手放しでも安定して進んでいる。

(後で見るとやはりロングであった) ギリギリまで陸に近いところまで進め

ポンッーンに横ズケをする、バウとスターンからロープを出し船を固定する

、さらにマストのグースネックの上よりロープを出しポンッーンに固定する。

なんとラフな事か、

しかし合理的だ3名で短時間にできる。 ピーターさんがウエットスーツに着

替え底回り、奥さんが船内、僕が外回り昼飯をはさみ4時間ほどで完了、

船底塗料は塗らなかったがシーズンインの掃除ができる、何事にも気軽に

している。 来週クル−ジングに行くからと誘われたが、残念ながら帰られ

ばならない感謝して辞す。 来年来たときに乗せていただく事で納得しても

らう(本当は帰るのを延ばしたかった)KERIKERIも明日で離れる、来年に

は再度訪れよう。

 10/19 晴れAM05.30ケリケリを出発国道1号線をオークランドに

向かう約4時間ほどで到着、レンタカーを返す。市内のホテルに向かう。

海洋博物館を見て時間を過ごす、夜ケリケリのジエミーよりホテルにTEL

あり

 10/20 晴れ 今日はロイヤル ニュージーランド ヨット スコードロン

、(R.N.Y.S)にアメリカンズカップを見るためにクラブハウスに向かう完

全に会員制の為ゲストブックに記入、二階の会議室にあるカップを見に行

く ガラスのケースに入り燦然と輝くアメリカンズカップ、日本が何十億円も

掛けても手に入れられないカップ、いつの日か我が国に来ることを祈りし

げしげと見た。

クラブのバーでカプチーノを頼み、テラスに出てベイブリジを眺めながら手

紙を書く。

 夢のように早かった四週間、次回訪れるときはもっと深く知りたくなる国、

旅行者のみが許される贅沢で快適な時間、その時も後少しで終わる。非

日常から 日本の日常へ、心も体も切り替えねば、、、悲しくもあり寂しくも

ある、、、

       De JI3HHC @ JH3NSW.25.JNET3.JPN.AS /ヨット.アイランドクイーン       

 △◆△〜風と波に乗せて貴局のボ−ドに〜JI3HHC△◆△

海・千夜一話物語 第213話

「フェローセメントは泥船」  

河野阿波守隻腕殿がいみじくも言った。

JA5CLB> 泥舟ってコンクリートの事だったのか。歴史上の人物にも居た

様な気      が・・  そろそろ種明かしをする時が来たかな。

 泥舟は、私の雅号である。 私が造ったヨットは、コンクリート製である。  

友人が、「まるでカチカチ山のドロ船だ」と笑った。  有り難い、これで決ま

りだ。  何の分野で使うかは決めていないが、とりあえず雅号は「泥舟」に

決めた。 雅号をもったヨット乗りはまだ居まいと自負している。

さて、時代は遡ること100年少々前、江戸時代に「幕末の三舟」が居た。

一人は咸臨丸のアイドル、勝(燐太郎)海舟である。  勝新太郎は中村玉

緒の手の平の上で遊んでいるが、勝燐太郎は咸臨丸で太平 洋を渡った

肝っ玉のでかい男だ。  もっとも、道中ずーと船酔いで苦しんでいたそうだ

が。

 二人目は、山岡鉄舟。  旗本で槍の名人。徳川慶喜を護衛した。

 三人目が、高橋泥舟である。 幕臣であり、剣術の達人。千葉道場で剣を

学び、無刀取りを考案した。

 明治になり、知事にもなった。晩年は明治天皇の侍従まで務めた。

 海舟、鉄舟、泥舟。彼等が俗に幕末の三舟と称せられていた。

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海・千夜一話物語 第214話

「雪国のヨット事情・冬景色」

 磯野さんは、「青森の余生を長崎で」のタイトルを見て、自分へのそろそ

ろ 引退を勧めるメールかと驚いたそうですが、ショック療法ですよ。

 さて、もう冬眠の準備をされたのでしたかね。

 雪国のヨット事情を、私は何も知りません。折りに触れメールして下さい。

  過去に、ハワイで知り合ったバンクーバーのヨットマンが、国の冬景色だ

と 言って写真を見せてくれました。

 上架したヨットに、20cm程の雪が積もっていた。重荷になるので、雪か

きをするとか、しないとか。

 ここ瀬戸内海では、冬と言えども何時も木枯らしが吹いているわけでは

あり ません。  三寒四温と言われるように、四日は穏やかな日があります

。俗に小春日和と 言うポカポカと眠気を催す日もあります。  港町にたま

に雪でも降ろうものならカメラを持って、写真撮影です。

 しかし、今年の冬は、パケットのお陰で同じヨツトを愛する者のなかでも、

冬には乗れない人が居ることを知り、オールシーズンセーリングを楽しめ

る我 々は、もっと真剣に乗らないといけないと、つくづく考えました。  ウラ

ジオストークのヨットマンに聞いたことがある。

 あのピヨートル湾が凍るので、冬は上に揚げて、冬眠かと聞くと、セーリ

ン グヨットはそうだが、冬はアイスヨットを楽しむと言った。  早いのは、時

速100Kmにも達すると言う。

そう言えば数年前の事だ、米子のジュニアのヨットの正月合宿の光景をT

V 放送で見たことがある。 その日は大雪が降ったにもかかわらず、TV取

材の手前もあって、強い風の 中でセールを張ったら、積雪の上をOPが走

った。 まるで雪上ヨットだ。

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海・千夜一話物語 第215話  

「ヨットの事で相談が」

 今は昔の事だ。 その年の夏が始まろうとするころだった。 面識の無い

一青年から電話が掛かってきた。

青 「石川さんですか。」

私 「そうです。」

青 「ヨットの事で、相談があります。」

 私は、ヨットの事で相談があると言われれば、嬉しくなって、ついコスモポ

リタンの心になってしまうが、やがて臍(ホゾ)を咬むことになる。

青 「ヨットを始めたいと思っているのですが、何処か良い置き場がありま    せんか。」

私 「急いで買わなくても、入門してセーリング技術を教わってから、じっく    り良いヨットを選んで買ったらどうですか。」

青 「実は、もう手付け金を払って契約したんです。」

私 「何処で、どんなヨットを・・?」

 よくよく聞けば、某販売店に展示してあったY社の21フィートセンターボ

ーダーだと言った。おまけに、そのヨットは、私の友人のグループが、走り

が 悪いからと手放した物だったが、彼は値段が手頃だと言った。 艇を購

入してから見切り発射で相談も何もあった物ではないが、人伝てに私 の名

前を聞いて電話してきたのが、彼の幸運であり、私の不運でもあった。 私

もええ加減な男だから、仙酔島の県営桟橋の内側に空いている所を想い

出 して、彼に勧めてやった。 この島にあるホテルのお客さん送迎用渡船

の船長とも、長年の知り合いで、 自分のヨットも、なあなあでここに係留し

ていた事があった。なあなあの呼吸 は、チョクチョク顔を合わせ、挨拶や

冗談の一つも言わないといけない。そし て、彼等のご意見を拝聴し、ロー

プの取り方の蘊蓄に耳を傾けなければならな いのだ。 ここへヨットを置け

るようになった青年は、都合の良い時だけやってきて、 船長等に物も言わ

ずヨットを出して楽しみ、一瞥もくれず帰って行った。

ある夏の日、偶然青年がやってきた。今日の連れは、奥さんと彼女の父親

で あった。

  渡船の船長が何か注意しようと、汽笛を鳴らしても聞こえぬふりして出

航、 岬の陰に消えていった。普段はおとなしい船長が、この時ばかりは怒

りをあら わにして、猛スピードで追いかけて行った。

 やがて帰ってきた船長曰く「置くなとは言わぬが、置く以上は度々ヨットを

見に来い。繋ぎ方が悪いから、左でゴツン、右でガツン。両サイドの船が迷

惑 している。」と言ってやったそうだ。

  その年のお盆が過ぎた頃、再び青年から電話が掛かってきた。

青 「ヨットの事で相談があります。あのヨットを売りたいのですが・・・。」

彼と彼の家族にとって、まさに"一夏の体験"であった。

 「戯れに恋はすまじ」の教訓を残して・・・・。

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海・千夜一話物語 第216話

「たこばん先生の個展」

 「文を書けば 指先寒し 秋の風(もの言えば 唇寒し 秋の風)」

 ヨットフォーラムのファイルが日に一つづつ消えて行く我がホームBBS局

の システムですが、まさに風前の灯火です。

今日は、無理矢理こじつけで、書いています。

ヨット仲間のたこ判先生こと、中西和雅さんが、いよいよ11月19日 ̄2 5

日まで、福山・天満屋で個展を開きます。

 彼は、去る「仁尾マリーナ・クラブレース」の日に、KONA WINDで 仁尾

を訪問し、たこ判を堪能し、その足でヨットレースのアフターパーティー に

顔を出しました。

  彼は、8年前から、スペインはグラナダに居住し、絵画創作活動を行っ

てい ます。 一度でも、ヨットに乗った人には「ヨット仲間」の称号を贈ってい

る私にと って、この度はまさにヨット仲間の個展と勝手に位置づけていま

す。 どうか、時間が取れる人も取れない人も、鑑賞してやって下さい。

 [ごあいさつ]  8年間にわたるグラナダへの重い。私はこの情熱を、光

を、そしてこの心と ともに時を超えて永遠に人々に伝えたい。 優しさ、激

しさ、哀しさ、、、。  中西和雅

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海・千夜一話物語 第217話

 「戦艦大和」

  「われらかく戦えり−師範徴兵の手記」と言う本を福山市松永町の大村

さん 等の手で自費出版されたことを新聞で読んだ。

興味があるので、直々に買いに行った。

そして、本の内容と重複するだろう が、戦艦大和轟沈そして漂流の模様を

本人の口から聞かせて貰った。

 本の内容は、ほとんどが、撃沈されて漂流、救助というパターンである。

 中にはフィリッピン近海での戦艦扶桑の撃沈で、仲間とチリジリになりな

が ら、自分はフィリッピン群島のある島へ失神したまま漂着して、現地人

に助け られた人の手記もある。

[戦艦大和の断片的データ] 全長 263m、 満載排水量 73000t、 最

大速力28ノット 重油満タンでの航続距離 13000Km(原速・16ノットで)

つまり、燃料満タンで東京とハワイ間を往復出来た。  主砲は口径46cm

で、砲弾を40km先まで飛ばすことが出来たそうだ。 魚雷の防御の為に、

船体の側面は40cm厚のアーマーと言う鉄で覆われて いた。 全乗組員3

600名と言うから巨大工場である。

  大和出撃にあたり連合艦隊司令長官は、「ここに海上特攻隊(片道だけ

の燃 料しか積まない)を編成し、壮烈無比の突入作戦を命じたるは、帝国

海軍力を この一戦に集結し、光輝ある帝国海軍水上部隊の伝統を発揚

するとともに、そ の栄光を後世に伝えんとするに外ならず」と訓示し沖縄決

戦に向かわせた。

昭和20年4月7日14:30 米軍機の数波に及ぶ攻撃に遭遇して、12 本

の魚雷、5発以上の爆弾を浴び、奄美大島西方海上で海中に没した。 爆

発炎上した煙は6000mにも達したと言う。 海へ投げ出されて無事を喜ん

だのも束の間、沈没時の自爆で飛んできた鉄の 破片の直撃で無くなった

人も多いと聞く。 何時の世も、戦争は悲惨である。

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海・千夜一話物語 第218話  

「嬉しくなる本、見付けた」

  ひょっとして、今頃喜んでいるのは私だけかも知れない。

 何時だったか、竹村健一の口から出た「これだけは読んでおきなさい」と

言 った本の題名が思い出せないままに、勘に頼って買った本がこれであ

る。

 「教科書が教えない歴史」 自由主義史観研究会 執筆 今年の8月10日

に初版第一刷発行してから9月20日には第六刷発行であ る。 "はじめ

に"の文の冒頭は、次の書き出しで始まる。

 「ある高校生は、日本史の授業が始まるとき、「ああ、また日本の悪口か

」 とつぶやいたそうです。日本人が日本の国家に嫌悪感を持つように仕向

けられ る歴史が教えられてきたのです。それは、日本がこの前の戦争に

負け、戦争の 責任をすべて押しつけられたことと深い関係があります。」

 そして、しめくりに、こう書いてあったので安心して購入した。

 「本書は中学生が読めること、小学生でも先生の助言があれば理解でき

るこ とを基準として執筆しました。」 読み進むうちに、日本人である事が嬉

しくなって来る。自国日本を誇りにさ え思えてくるから、この執筆は良い試

みであると賞賛に値する。

 近代日本と戦争のコーナーには、こんなのもあった。

 「日本の戦いを絶賛したタイの首相・大東亜戦争(1941-1945)」

 「国家の体をなしていなかった日本・湾岸戦争(1990-1991)」

何しろ、それぞれの話が短いのが気に入った。

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海・千夜一話物語 第219話

                「現代の名工・大漁旗のおやじ」

  今朝(11/19)の読売新聞の備後版に「現代の名工・県から二人」と墨ベ

タの 見出しで三重線の囲いの記事が載った。

一人の顔写真は私のヨット知人(?)の皿谷親父、俗に大漁旗の親父さん

で ある。

 唯一無理がある点は、数年前の写真を使っている点だが、何はともあれ

おめ でたいことだ。早速、電話で祝意を述べる。

この"現代の名工"とは、労働省が1967年から、優れた技能を持ち、ほ

かの模範となる人を「卓越した技能者」として、表彰するものである。

 この皿谷豊重さんは、手描き手染め「備後筒描き」の継承者で、絵幟、神

社 の幕、校旗、のれんなどを制作している。 大豆、柿しぶ等植物性染料

で自由自在に色を作ることができるほか、のり、 染色道具を改良して独特

の色合いを出したことが評価されたそうだ。

 私が太平洋へ出かけるときに作って貰った大漁旗も、将来値が上がるか

も知 れない。なにしろ、現代の名工の作品なのだから・・・。

 五月の空に泳ぐ鯉のぼりや、武者絵の幟りも、手作り手染めの、一つ一

つ仕上 げる丁寧な物で、ナイロン地にプリント模様のものとは、ひと味もふ

た味も違う。

 ヨットフォーラム各局、将来、スピンネーカーに武者絵など如何なものか。

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海・千夜一話物語 第220話

 「カシオペア通信」

 11月19日 20:45 土佐清水発   カシオペア・スポークスマン  「二

日目の三机港を出発したのはええが、西風がなんぼうにも強うて、もう い

っぺん引き返してきたんよ。三机でもう一泊したらなんとか走れるようにな

ったので、一気に岬を回った。そこからはフリーだっけぇー、メイン2ポンの

ストームジブでビュンビュンじゃった。」  そしてその日は日振島へ入った。

 今日(11/19)は日振島を発って、柏島を超えたらベタ凪ぎになったので

機走 で土佐清水へ入った。

小林 「さっき寿司を食べて電話をしています。」

私  「矢部さんが、高松入港の際はうどんスキで歓迎だとのメールが入っ

   とるぞ。」

小林 「シーガルネットで、ニューカレドニアのホロホロに中継して貰って徳

    島トコンタクトしているが、徳島でも大歓迎の準備が進んでいると言

    う事なので、徳島へも高松へもぜっぴ(是非)行かにゃいけんなぁ」

 明日は、この風に乗って一気に室戸岬を回り、蒲生田岬から徳島を狙う

積も りらしい。

     "カシオペア 今日はどこまで 行ったやら"

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海・千夜一話物語 第221話

 「福山の猿岩石・徳島へ」

  福山の猿岩石こと小林、縄稚コンビ(いまひとつ定かでないのですが、

奥さ んも同乗しているとかいないとか、ただ二人だけなのかまだメンバー

がいるの か?)が、無事に阿波で捕獲されたという阿波守隻腕殿のメール

に接して、御 同慶の至りである。

懸念していた、伊島と蒲生田岬の間に点在する岩礁群に引っかかるという

ト ラブルは無く、無事にケンチョピアへ到着したという報に接して安心しま

した。

徳島でうまい物を喰い、高松でうどんすきを喰い漁って、さぞ船足は重くな

るでありましょう。

ところで、当局は23,24日は岡山県倉敷市玉島で、源平杯なるヨットレ

ースに参加します。 23日は、マリーナへ上架してヨットのお尻やお腹を磨

いてやり、24日の レースに万全の体制で臨みます。 これで、ビリはならな

い事は、断言できそうです。 メンバーの人選が実に楽しい。

  1.今年の夏、ヨット初体験で日は浅いが、最近OPシングルハンドで、

上サイド、下マークを回れるようになった    佐藤くん

 2.ヨットに乗ることの積極性だけは主人を上回る 佐藤なおちゃん

 3.最近、ヨット語の覚えが著しい奴隷君と    久保くん

 4.渡辺どんがめ21に、えらいこだわりを見せた 藤本くん

   注:彼はパケッターROM JM4RVQ

 5.コンクリート船では力を発揮する       石川

カシオペアは24日帰朝するとき、水島沖を通ったらどうですか。

通る時間によればレース中か、帰鞆中のボルテチノ(J24)の勇姿にお目

に掛かれるでしょう。

 はたまた、悔しさのあまり、道具屋で購入したトロフィーを、さも授かった

ように持ち帰っているかも知れません。

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海・千夜一話物語 第222話

 「玄界灘・伝統・ざる豆腐」

 江戸時代から玄界灘の島々に伝わる「ざる豆腐」なる物があると聞く。

ガソリンスタンドのサロン(定義:レジと読み物とジュースの自動販売機の

ある所)で、給油の合間に手にした今にもちぎれてバラバラになりそうな週

刊 誌の端っこに、佐賀県唐津市のある豆腐屋の紹介があった。

「玄界灘の島々に云々」が気になって、読みながらメモを取った。 重由美

子さんや木下アリーシアさんも、食っているのだろうか。

 無農薬の契約栽培の国産大豆と苦汁(ニガリ)で作り上げた伝統の豆腐

が、ざ る豆腐だと言う。  形は従来の方形の概念を覆して、丸いざる型を

している。  出来た豆腐をざるですくい上げて固まるのを待ったと言うのが

正解である。

 ざる一杯分が3500円だそうだが、これが安いのか高いのか・・・・。

しゃもじですくい、醤油やタレは少な目にして口に入れると、豆腐とは本来

こういう物だと思われる舌ざわりと味が広がってくると言う。

店員 「お待ちどうさまです。軽油52リッター入りました。」

私  「えらい早いなぁー。本が読めるくらい、ゆっくりしてくれぇー」

店員 「!? !? !? !?」

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海・千夜一話物語 第223話

「玉島ムツゴロウ事件」

 福山の猿岩石が、高松のうどんすきパーティーに胸を踊らせて大的場入

港の ころ、我々は玉島のマリーナの着水域で、"ムツゴロウ事件"の最中

でした。

  明日(11/24)の「玉島源平杯」にエントリーの為の下準備に、土曜日に

鞆の 浦から玉島のマリーナまで回航の末、上架した。  チョイ揚げして船

底掃除の後、近目には大いに気になるが、大いなる妥協の 末に、切り上

げで着水させたのが、干底の16時ごろであった。 既に水深は80cm程し

かなく、モーターボート&釣り船バージョンである がために、喫水100cm

以上はあるJ24の下架が躊躇われた。  しかし、明早朝の着水は、マリー

ナの係員の出勤前のため不可と言う。

そこで一縷の望みを託し、一抹の不安を否めないながら無理矢理着水さ

せれ ばバラストは深々とヘドロの中へ突き刺さってしまった。

 抜き差しならぬとは、こう言う事を言うのかと国語の勉強までさせられた。

澪を行き来する漁船の作る引き波にも、揺れもせず堂々としたものである

 有明海の名物、ムツゴロウよろしく、海底の泥の上である。 これを名付

けて、"玉島ムツゴロウ事件"として後世に語り継がなければならないと、誰

も考えた訳ではないが・・・。

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海・千夜一話物語 第224話

「優勝の前祝い事件」

"玉島ムツゴロウ事件"でドロの上に下りたボルテ・チノ(J-24)を慌てて 本

流へ出そうと四苦八苦。クルー二人と私とで、三人寄れば文殊の知恵、三

本 の矢は毛利元就だが、急なこととて三人がバラバラに考え動いた。

一人は船外機を始動させにヨットに飛び乗り、自分の体重でさらに数セン

チ 地球の中心へ向けてバラストを突っ込んだ。  もう一人は、艇を傾ける

ために、舷側デッキに乗り、更に数センチ地下水脈 へ向けてバラストを突

っ込んだ。 せめて二本の矢で艇体を押そうと思い、舷側クルーを桟橋へ

下ろした。 私はと言えば、急いで本流の澪の方へ押し出そうバウを右舷か

ら押した。そ の時、クルーがエンジンに勢い良く後退を掛けて船体が回転

した勢いで、バウ が左舷に動き出した。不幸にもバウパルピットを掴んで

いた私の手はついてい くし、足は桟橋に残っている。  上体が水平近くま

でなった時、すぐ横に居た新人クルーが気づいて事なきを 得た。  慌てふ

ためいた時は、喋った言葉が日本語になっていなかった。  もう数秒、ク

ルーへの自分の意志を日本語に翻訳するのが遅れていたら、誰 の手も

借りずに、一人で泥水の上に落ちて、「優勝の前祝い」をするところだった

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海・千夜一話物語 第225話

「虫の知らせレース事件」

"玉島ムツゴロウ事件"でドロの上に下りたボルテ・チノ(J-24)は、 「優勝

の前祝い事件」で、危うくヘドロの海へ落水しそうになりながら も、何とか

難を免れたのも、虫が知らせた翌日の大混戦レースへと、目 には見えな

い神の摂理がはたらいて、関係者はその渦の中に嫌でも身を 巻かれて行

くのであった。

11月24日は、玉島源平杯ヨットレース。

 大はJ−34から小はヤマハ21R&Cを織りまぜて十二、三バイの ヨット

が、4m/sの北寄りの風にスピンランで一斉にスタートした。  J24のライ

バルはJ24である。たとえビリのグループに居ようと も、気分は既にマツ

チレースである。相手のJ24にだけは負けたくな いと、スタート前から視線

レーザービームは相手艇のセールを睨み付け て風穴を開けてやらんばか

りの闘志であった。

水島水道を南に越えた所に豊島(テシマ)と言う島がある。これを右手 に見

て、時計(デジタルでは無い時計)回りに回航して、玉島沖のスタ ート地点

まで帰ってくるコースである。

風が落ちて、止まっている先行艇団に後続の小型艇が追いついてきて、

豊島の東海域で再スタートの展開になった。やがて本部船にS旗が揚が

った。 はるか後方に居たY31SやJ34が急追してきてJ24軍団を抜き 去

った。 豊島南端の鼻を回り込む海域で、勝負は決まった。 ライバルJ24

とY31Sが、島のブランケットを意識して沖出しし た。我が艇とY21R&C

とJ34が、轟々と音を立てて流れる(集音 マイクで拡声)逆潮に流されまい

と、沿岸コースを必死になってこだわ りと意地を競った。 私は、ここで思い

切って岸スレスレのオンザ・ロック・コースに突っ 込んで、吹き下ろしの微

風と潮の反流を狙ったら、これが見事に的中し て、ファーストホームである

昨日の「前祝い事件」の事が頭をよぎった。

結果は、トップフィニッシュの修正2位。 久々々々の燦然と輝く、ズシリと重

い、それでいて狭い部屋でも邪魔 にならない様にとの配慮の行き届いた、

盃(サカズキ)程のカップを恭しく 両手で受けとめた。 ちなみに、フィニッシュ

艇は3艇のみ。他はD.N.F.でした。

着順

  1着 ボルテチノ(J24)、2着 ウエスト・ウエル(J34)、3着 アルカディア(Y21R&C) 修正

  1位 アルカディア、  2位 ボルテチノ、    3位 ウエスト・ウエル

"苦にならぬ 日暮れて帰航の 勝ちいくさ" 石川泥舟

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