第301話〜第325話

海・千夜一話物語 第301話

「朝鮮通信使再現航海 プロローグ」  

  "酒飲みたとえりゃ 花なら蕾 今日もサケサケ 明日も酒"  大手A新聞の記者が、突然現れて、話があるので酒でも飲みながら聴いてく れと言った。 1991年の秋の事だと記憶している。 何故か、カラオケの無い店を指定してきた。マスターが一人で店を構える本 格的なカクテル・バーであった。  初っ端、酒とロマンの話になり、彼が好きだと言って冒頭の歌を披露した。  硬い論調のA新聞社の記者にしては、話の切り出しがエライ柔らかいなと奇 異な感じがした。  さて、用向きはこうである。  「鞆の浦にある福禅寺の客館、対潮楼(江戸時代、朝鮮通信使が宿泊)が修 理されて来年オープンになりますが、完成を記念して、朝鮮通信使の再現航海 をヨットマンの手で出来ないものだろうか。」 「私にやりませんかと言うのなら、明日にでもやって見せますが、美味しい 話を一人で喰っても恨みを買うばかりだから、福山近辺のヨットの団体(福山 地区ヨット連盟)に提起して、全員が何らかの形で参加する、福山ヨット界の 大ロマン事業にまで高めては如何なものか。」とアドバイスして、関係団体の 理事長なる人を紹介した。 私の個人プレイに終わらせたくないとの配慮が、後々に、"船頭多くして、 ヨット山に登る"と言う、魑魅魍魎のばっこを招く事態なることを神ならぬ身 の知る由も無かった。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>>

 

 

海・千夜一話物語 第302話

朝鮮通信使 その2 「朝鮮通信使とは」

 そもそも朝鮮通信使とは、李王朝が、室町時代から江戸時代にかけて日本に 送り出した外交使節団をいう。 彼等の出発点は、かって李王朝の都であり、現在の首都ソウルであった。 その数は、およそ500人にも及ぶ使節団と案内役の対馬藩士1000人が、 1年もかけて江戸まで往復したという。 通信使の経路はおおよそ次ぎのようになっていた。  ソウル(出発)−釜山(韓国)−対馬−壱岐−下関−上関−下蒲刈島−鞆の 浦−牛窓−室津−兵庫−大阪−枚方 ここから陸路で江戸まで行く。 ソウルを出発して大阪に到着する頃、既に5ケ月の歳月が費やされていた。 寄港地のある各藩の藩をあげての大歓迎を受けているが、接待を担当する各藩 は、いずれも莫大な財政負担を強いられた。  響応には七五三の吉数に基づき、本膳七菜、二の膳五菜、三の膳三菜が供せ られ、山海の珍味を集めた最高のもてなし料理だった。さらに、通信使と対馬 藩士に礼物が贈られ、通信使一行の全員には毎日、その身分に応じて米や野菜、 酒、味噌、醤油、酢、塩などが支給された。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

 

海・千夜一話物語 第303話

朝鮮通信使 その3 「鞆の浦」

歴史街道と言う雑誌からの引用を続ける。  記録では、8月24日に赤間関(下関)を出発して上関(山口県)、下蒲 刈(広島県)に立ち寄り、28日午後二時過ぎに鞆の浦沖へ近づいた。  つまり、二箇所の寄港地を経て4日を費やしている。 ヨットで走ると、下関−鞆の浦間は24時間、一泊二日の距離である。 通信使の船団は鞆の浦に上陸する予定を変更し、更に前進しようとしたが、 乗り組んでいる対馬藩士が「藩主の船が遅れているので待ってほしい」と押し 止めた。  対馬藩主の船が追いついたのは、日も暮れ掛かったころだった。  藩主は先を急ごうとする通信使の一行に、受け入れ側の事情を説明した。 「沿路に客館を設けて供具するのは、すべて幕府に命じられたからで、そのた めに各藩が費やしたものは、もう返すことが出来ません。今、ここを素通りす れば、それは護行の藩臣が幕府の命に違反した事になります。」  対馬藩主の言葉通り、幕府から通信使の接待の命を受けた備後福山藩でも長 州藩と同様、巨費を投じて鞆の浦で受け入れの準備を整えていた。  対馬藩主の熱心な説得に応じて帆を下ろした。  そして、その盛大な歓迎ぶりに一行は目をみはり、申維幹は鞆の浦を「赤間 関以東の一大都市である」と賞賛した。    これで福山藩は面目をほどこしたという逸話も残っている。 <<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

 

海・千夜一話物語 第304話

朝鮮通信使 その4 「対潮楼」

 対潮楼のある福禅寺は港に面した小高い丘の上にあり、三使たち上官の客館 は寺の本堂に接して建てられていた。 申維幹が「棟宇は宏大、帳御は豊侈」と評したこの客館が創建されたのは元 禄年間(1690年ごろ)のことで、座敷から海の眺めが素晴らしいところか ら、1711年に訪れた通信使の従事官・李邦彦は「日東第一形勝」の六文字 を縦30センチ、横175センチの紙に隷書で揮毫した。  昔はこのすぐ下に海が迫り、波が石垣を洗う絶海の位置であったが、現在で は埋め立てによる道路になっていて、潮ならぬ車や人が流れている。  さて、福禅寺の客館は、申維幹らの一行が訪れた後は、荒れ放題になり、一 時は使用されなくなっていた。 ところが、1748年に訪れた正使の洪啓禮は、別の場所を宿舎とされたこ とに気分を害し、船中で寝泊りした。  しかし帰路、荒れ果てた客館が見事に修復されているのを見て喜んで宿泊し、 「対潮楼」と命名した。   そして、その名を息子の書家洪景海にしたためさせた。以後、福禅寺の客館は 「対潮楼」と呼ばれている。 住職さん以下鞆の文化人が浄財を集め、二年がかりで取り組んだ「対潮楼」 の修復工事が終わるのは、平成3年(1991)末の事である。 ここに、我々の出番が回ってきたのだった。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第305話

朝鮮通信使 その5 「実行委員会」

 ヨット連盟の理事会で、”朝鮮通信使再現航海”の件が議題に上がり、行き たい人だけで実行委員会を作り、話を進めていく事になった。 理事長は「行きたい人」ではないので、委員会の中には入らない。 そして、権現様(元々は、徳川家康のこと。地元ヨット界では理事長のこと を言う。その心は歳だが、みんなを平服させるだけのご威光が、まだある。)は、 言われた。  「大きなヨットが、良いでしょうね。それに、希望者が乗り合わせて行けば よろしいかと思います。」  この時、大きなヨットとは、B(37ft.)艇とC(35ft.)艇の2ハ イであった。 随行希望者を公募して、集まった希望者を2ハイのヨットに振り分けていけ ば良いと思うのだが、オーナーが言い出さないと始まらない雰囲気である。 実体は、「私のヨットへ乗りたい人」「俺のヨットへ乗りたい人」と個別に 呼びかけをするものだから、出来得ればどちらにも乗りたくないグループが出 てきて、完全に三グループに色分けされてしまった。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第306話

朝鮮通信使 その6 「離合集散」

 B艇、C艇グループはどちらも「行かねばならない」との義務感がプレッシ ャーになり始めている気配が感じられた。  もっとも、建て前では実行すべきだと言いつつも、本音は再現航海に意義を 感じていないらしく、喋る言葉にインパクトが無かった。  それに引き替え元気なのは、「・・・ねばならない」でなく「行きたい」と 心底思っている第三グループの連中であったが、艇に関しては宙ぶらりんであ った。  座長のいない実行委員会は、誰が何の準備をするのかと言う、役割分担が成 されずに、離合集散を繰り返すばかりであった。  B艇長もC艇長も、連盟の中での役割は、たとえば権現様を父親とすれば、 長男と次男の様な、否、双子の兄弟の様な関係であった。 目が光っている内は兄弟仲も悪い物ではないが、権現様のいない実行委員会 では、BさんCさんのどちらを座長にしても、折り合いが付かない事になる。 現代の川柳にこんなのがあった。        ”それじゃまぁ そんなわけでと 町内会”  具体的な事は何も決まらず四方山話で流会に至る会合を皮肉った内容である。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第307話

朝鮮通信使 その7 「三本の矢」

 権現様は委員会に入らないので、座長にもならない。 しかし、情報は入るので、気にはなるらしい。なかなかうまく行かないのに業 を煮やして、「石川さんのヨットでは、行かれませんか?」と問うてきた。  「B,C艇とスピートの足並みが多少そろわない程度で、不可能じぁないです よ」と返事をしたら、「それじぁ、行かれたらどうですか」と決めてしまった。 ここで初めてB,C,K艇の三役揃い踏みである。  毛利元就の”束矢のおしえ”ではないが、一本の矢では折れるが、三本矢を束 ねたら折れない。三艇で結束して事に当たったらとの配慮だったが、本当にやる 気のあるK艇が現れたら、他の2艇は半ば下りてしまった。 矢は三本あっても、束ねるものが弱いとバラバラになると言う教訓を与えて貰 ったようなものだ。 そのうち、やることより、やらないことの具体的理由を発表した。 B艇いわく。「東京−グアムレースで、大量の犠牲者を出した、マリンマリンと 同型だから、ヤバイ」 その内、土壇場でC艇も下りた。又聞きで知ったことは、Cオーナーの言として 「向こう(韓国側)の受け入れ体制が出来てないから取りやめるのだ」  韓国サイドの受け入れ体制は、何も無い筈なのに・・・である。 朝鮮通信使再現航海は、大儀名分としてこちらが勝手に付けて、勝手に押し掛 けて行こうという算段なので、韓国サイドで歓迎のセレモニーがあるわけでは無 いのだ。 何のことはない、A新聞の記者が持ってきたK艇への話が、連盟の迷路を右へ 行ってぶつかり、左へ行ってぶつかり、試行錯誤の末、出口へ到達したら、元の K艇のみが待っていた。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第308話

朝鮮通信使 その8 「韓国総領事来る」

 とかく人間は、持ち物の大きさで勝負したがる。(意味深長) なかでもクルーザー乗りは、偉さの違いをフィート単位で誇示したがる性癖が 無いだろうか。 ヨットの全長が、37ft、35fT、32ftの艇長は、端(ハタ)からこ う呼ばれる。  「あんたが、大将」「あんたは、大将」「あんたも、大将」!?!?!? いずれの大将も、たかがフィート単位の違いであるにもかかわらず、それぞ れのグループでは大将だとの意地と張り合いが火花(線香花火?)を散らす。 しかし、「月は人を待たず」と言い、確実に時間だけは過ぎていく。 どちらが理やら非やら言っていると、巻き添えを食らって諸準備の時期を失 ってしまう。 焦った。 ぶっつけ本番で、福山市長に主旨を聴いて貰った。 「その昔、朝鮮通信使が泊まったという鞆の浦の対潮楼が、修理され完成間近 ですが、ヨットで通信使の再現航海をして、鞆の浦と韓国の釜山との間を往復 したいと思っています。ついては、釜山市長宛にメッセージを書いて貰えませ んか。」 文化を縦糸に、親善を横糸に織り込んだ「朝鮮通信使再現航海」の大義名分 を、錦の御旗にして開陳に及べば、少しは市長の心を捉えたかに見えた。 その結果、非公式ながらOKが出た。  やがて、完成披露パーティーが、韓国総領事を迎えて、鞆の浦のホテルで開 催された。 この一連の修復実行委員長が、文化連盟の会長でもある鞆の浦在住の画家藤 井軍三郎であり、彼と私は、実は師弟関係にあるところから、韓国総領事を迎 えて行われたパーティーに招待してもらい、総領事に会わせて貰う事が出来た。 私は、総領事に、この度の再現航海の主旨を、説明させて貰った。  御本人から直々に「協力しましょう」との約束を取り付けた。 後日、領事館から福山市役所広報室秘書課に問い合わせがあった。  秘書課から、私に再確認の電話があった。  しかるべき外交ルートから「貴市のヨットマンによる通信使再現航海を公式 に承諾します」との回答に対して、寝耳に水の市当局は、もはや非公式では無 く公式の文書(メッセージ)を出さないといけないので、順序は逆になりまし たが、公文書申請書を市長宛に出して下さいとの要請を広報室秘書課から受け た。 さらに後日、正式に公印のドンと押された、釜山市長宛の福山市長からの公 文書(メッセージ)を受け取った。 「瓢箪から駒・・・」ならぬ、「新聞記者の戯れ歌から、親善航海のロマン」 が実り、晴れて公式の日韓通信使の役割を演じる事になった。 時すでに遅く、火を付けた戯れ歌記者はもう地元には居なかった。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第309話

朝鮮通信使 その9 「出発・サメか?」

 「帰港時の出迎えだけでも、歓迎のヨットを出しましょう。」との約束も無 いままに、四月下旬の出発の朝を迎えた。 4月26日  鞆港の桟橋に横付けしたコナ・ウィンドは、世間に公表した出 発の午前8時を待った。  藤井軍三郎名誉団長をはじめマスコミとか大勢の無事を願うヨット仲間に見 送られて、朝鮮通信使再現航海の幕は切って落とされた。  いつもそうだが、出発前はいくら準備しても、これで満足ということがない。  なにか、忘れ物があるような気がしてイライラする。しかし、ひとたび出発し てしまうと観念して、飲んで喰って昼寝にいそしむ。    二度目に起きたときは、松山市の西北にある、釣島水道のど真ん中で、穏や かな海面を滑るように、太陽を追うように西に向かっていた。  夕日に染まった海面にヒレが見えた。一瞬サメかと緊張感が漂った。 サメにしては多すぎるし、泳ぎ方がリズミカルである。カメラを構えて近寄 ってみると、イルカの大群であった。 「牛に引かれて善光寺まいり」よろしく、イルカの先導で朝鮮通信使とは、 誠に幸先が良い。  神は善人には・・・・・・・?!

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第310話

朝鮮通信使 その10 「善人はカルビの夢」  

夜が明けぬける頃、濃霧に行く手を阻まれた。進行方向に向かって左海面に 黒々とした亡霊の様な影が見えた。ヨットの船首を左から右へ横切ろうとする 貨物船であった。互いにスピートを落としていたので、衝突の難を免れてほっ としたのも束の間、今度はスピードがカクッと落ちた。スロットルレバーを押 し込んでもエンジンの回転が上がらない。 こんな時、艇長である私は、クルーの前で誰に言うともなく、独り言のよう に言うのである。 「藻が絡んだみたいじゃのー」「潜らにゃいけんのー」  なにしろ世間はサメ騒動の真っ直中であったので、クルーが喰われたら、遺 族はこう言うだろう。 「命令したのは、誰ですか。」  下関の「港湾合同庁舎」前で合流しようと、約束の時刻に、汽車でくる後続 のメンバーを待った。 彼等は、「合同庁舎」と聴き違え、そこで待っていたというトラブルのお陰 で出国の手続きが大幅に遅れた。   出入国管理局へタクシーを飛ばして言ってみると、事前の連絡をしていなか った事と、以前の場所と違って奥まった丘の上に移転していた為時間が掛かり、 担当の係官と入れ違いになってしまった。 閉庁の時間が迫っているので、焦る。  ヨットへ帰って、連絡を待つ。  日本人は親切だ。時間外にも係わらず、係官が我々の居る下関港細島船溜り まで来てくれた。 神は善人には・・・・・・?! 潮流のタイミングが良いということで、今夕の出発と決まり、サウナで身体 をほぐし、居酒屋で景気付けの夕食をとった。 ここでも、運良く、韓国から良く来ると言う船員に会い、海雲台のカルビ焼 きの旨い店の名前を教えて貰った。   ”夜の玄界  苦しい時は 思い描けよ カルビ焼き”

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

 

海・千夜一話物語 第311話

朝鮮通信使 その11 「対馬藩・漁り火」  

 徳川三代将軍家光の鎖国政策によって、海外に開かれた日本の港は長崎だけ となった。 しかも、来航が認められたのは、オランダ人と中国人にかぎられ、居留地も オランダ人は出島、中国人は唐人屋敷と定められた。 しかし、その鎖国下の時代に、実はあとふたつ、海外に開かれていた地があ った。琉球と対馬であった。江戸時代の約260年にわたって、対馬は徳川幕 府の朝鮮との国交や貿易の窓口としての役割を果たし続けた。 歴史街道 より 対馬の北端に近い比田勝港には、下関を発ってから約16時間程で着いた。 ここから釜山までは、32マイル(60km)時間にして8時間少々である。 従って、下関からぶっちぎりで走れば、単純計算で24時間後の夜の9時前 後には釜山港に到着する。 しかし、韓国沿岸を夜間航行すると、必ず一悶着起きる事が予想されるので、 緊急の避難で無い限り、避けるのがセオリーである。  北のスパイの進入を警戒する沿岸警備隊のランチが、赤色の回転灯を点滅さ せながら遊弋している。 日本の海上保安署のランチと違って、この舟艇の船首に機関銃が、でんと構 えているのをこの目で見、触った経験が私にはある。 「怪しげなそこのヨット、ちょっくらこっちー来い!」と銃を構えた沿岸警 備隊(軍隊)のMPに誰何されて、取り調べを受けた忌まわしい思い出がよみ がえってくる。  また、灯台のある岬にはトーチカがあり、サーチライトで海岸線を探照して いる。 もしここで、我々のヨットが岬からのスポットライトの照射を受けたら、そ の脇の暗闇から銃口が我々を捉えている事を意味する。 そんな理由で、夜が明けてから、入港するように時間を逆算して、対馬の出 発を、真夜中0時と決めた。 沖には、イカ釣り船の漁り火が、天と海の境目を照らし、通信使の道を誘導す る松明の様に見えた。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第312話

朝鮮通信使 その12 「韓国事情・なんか変だな」  

対馬の北端をクリアーすると、はるか西方に釜山の蓬莱島東端の岬から放つ 燈台の光が、波間に見えてくる。 「イチ、ニッ、サン、シー・・・?」  手持ちのチャートは、ごく最近の物ではないが、過去の数度のチャレンジで も使用した見慣れた物だが、今見ている燈台の灯質が違う。 光の時間間隔が違っている。方角からして、また見えてくる時間からして、 目標とする釜山港の東に突き出している、蓬莱島の燈台にほぼ間違いないのだ が、光り方が違っている。  おおよそ、灯質なるものは、何十年も替えられるものではない、替えるべき でない筈が、明らかに替えられていた。 燈台を見なくても、そこが釜山だと解っているから、「灯質が違う」と言える のだ。   ・・・が、何か変だな。 軍事が優先するお国柄か、過去にはロランの釜山チェーンが、何の予告通告 もなく、突然、電波の発信を停止をして、位置が出なくなりパニックになった事 がある。 平和な日本では、電波航法は、商業、漁業目的と思いがちだが、そもそもは、 軍事目的に開発された物だから、軍事事情で左右される電波の発信停止はいわ ば本来的なのだと知れば、腹も立たない。                      ・・・が、何か変だな。 さて、航海の方はと言えば、対馬北端を交わして、正面に燈台が見えた頃か ら、”ワンポイント・リーフ”を命じた。 風向きは、南東でフリー。艇速は、ランニングの8ノット。 「スピートがつきすぎる。このままでは、夜明け前に到着の心配がある。」 早く走ることが、好ましくない、この度の事情。 ・・・が、何か変だな。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第313話

朝鮮通信使 その13 「釜山港」  

”ソリの鈴さえ 淋しく響く          雪の荒野よ 街の灯よ ひとつ山越しゃ 他国の星が              凍りつくよな 国境(くにざかい)” 国境の街・唄 東海林太郎  (旋律の非常に美しい唄である。唄わないで、ハミングだけの方が情緒が伝 わってくる。) 初めての韓国旅行・船の旅の帰途、釜山の街に灯がともる頃、数々の楽しい 思い出を残して船は護岸を離れた。 船長の粋な演出か。効果満点の別離、惜別の光景を20数年の歳月を越えて、 懐かしく想い出した。 ドラが鳴り、ターミナルビルのスピーカーから、「蛍の光」が流れると、タ グボートが、我々の乗った汽船を、護岸から静かに離して、舳先を港口の方へ 向けた。  いよいよ、船が自力航行に移ると、船内に冒頭の旋律が流れて、惜別の情が いやが上にも増し、切ない気持ちになってくるのだった。  韓国第二の都市である釜山は、最大の貿易港である。古くから海上交通の拠 点とされ、港に沿って開けた街には、約360万人が住んでいる。 現在では、その防波堤の更に外側に、もう一重の防波堤が築かれていて、新 旧の防波堤の間がどうやら検疫錨地となっている。 セオリー通りイエロー・フラッグ(Q旗)と韓国国旗を上下逆さまにならな いように注意して、マストに揚げた。 錨地海域をスローで走り回っていると、検疫官を乗せたランチがやってきて、 そこらへんへアンカーリングして待てと言い残して、順番が先になってる貨物 船の方へ言った。  このアンカーリングした位置から、内側の防波堤の切れ目が見える。そこに、 以前取り調べを受けた、沿岸警備隊の鉛色の船が見えた。 「ヤバイ! 来るかな?(一抹の不安) 来にゃええのに(一縷の望み)・」  白波を蹴立てて突進してくる警備隊の機関銃を目の当たりにして、もう逃げ られないと観念した。 過去に体験があるので、機関銃何ぞ恐くは無いが、弾丸より速く突き進んで くるでかいランチの体当たりに怯えた。 「キャプテン! ショルイ モッテ アガッテ コイ!」 勿論、私にハングルが解る訳はないのだが、相手は、既に書類を持ってヨッ トのデッキに立っている私を見て、アテレコしたまでであろう、何かを喋った。  「行こう」と思っているから「来い」と聞こえたまでであり、「書類」を持 っているから「ショルイ」と聞こえたまでである。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第314話

朝鮮通信使 その14 「韓国事情」  

まず一番に検疫がクリアーした。  これで、上陸しても良い事になるので、税関、入国手続きは関係デスクへ出 向いてする事になる。  昔の記憶を頼りに、港湾の奥へ突き進んでいった。  関釜フェリー(韓国側は、釜関フェリーと言う)の横付けしてある当たりが、 乗船ターミナルである。そこに諸機関があり、我々を待ち受けてくれているだ ろうと、心浮き浮きと舵を取った。  沿岸警備隊のランチは、我々を取り調べた後、出入船舶チェックバーヂ(防 波堤の内側にアンカーリングして常駐している。)へ戻り、横付け待機の状態 で波に揺れていた。    コナウィンドとバーヂは指呼の距離にあり、見通しが聞くからこちらから通 報もしないのに飛んできたわけだ。  バーヂのデッキで銃を構えて見張りに立っているMPも、取り調べの一部始 終を知っている筈だ。また、取り調べに当たったランチの隊員達は、バーヂへ 帰ってきて、報告している筈だ。 「オーイ、皆の者、ちょっくら聞け! あそこの白地に赤いラインのKON AWINDというヨットは、取り調べ済みだから、ここ第二関門の通行はよし なに取り計らえ!」「ハハー!」 「ところが、ドッコイ」である。 この国は、何か変である。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

 

海・千夜一話物語 第315話

朝鮮通信使 その15 「竜頭蛇尾」

第二突堤をくぐり、バーヂとの間を程良い距離を保ちながら、しかもMPと 目を合わさないようにして、堂々と(内心ビクビク)通り過ぎようとしたとき、 またまたMPが手招きした。    このバーヂの横に着けろと手招きをする。同じ機関に二度も誰何される、し かも、隔たり300m内外の範囲内である。 バーヂの中へ入ると、別の取締官が「何処から来た?目的は何か?何処へ行 く?」とさっきと同じ様な質問を繰り返す。 「アンチャン、わしゃのー、今この船に横付け中のランチに、さっき同じ事 を聞かれたばかりじゃがゃー。同じ事を何度も聞くな。」と絵を描いたり、字 を書いたり、汗をかいたりしながら説明した。    その時、隣室のドアーが開いた。のぞき込んだ人と目が合った。「オヤー」 どちらもそう思ったに違いない。  さっき取り調べに飛んできた、弾丸ランチの船長である。 「船長!この人に何とか言ってくれんかねー」と訴える私の目に気づいたか、 船長が隊員に何かを言った。 やっと無罪放免になった。 同じ出先機関、同じ箱船にいながら、何の報告、申し送り事項がなされてい ない。 最初の信号機のところでパトカーに取り調べを受け、次ぎの信号機のところ で、それを見ていた別のパトカーに同じ容疑で取り調べを受けているに似てい る。 眼前に、竜頭山公園の白いタワーと、李舜臣の銅像が懐かしく迫ってくる。  しかし、釈然としない。  「竜頭蛇尾」にならねば良いが。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

 

海・千夜一話物語 第316話

朝鮮通信使 その16 「海雲台ヨットハーバ」  

1988年のオリンピックはソウルで華々しく開催された。     ヨット競技は、この釜山市が会場になり、アジアでも有数のヨットハーバー が建設された。釜山市の東10Km少々の所にある海雲台という観光地(海浜 公園)にである。 東京オリンピックの為に作られた江ノ島ヨットハーバーは、その後跡地利用 がうまくいき、急速なヨットの普及に、ヨット競技人口の拡大に貢献している が、ここ韓国では、それがうまくいってない。  100パイは係留出来る桟橋には、クルーザーが3,4ハイしか係留されて いないし、管理棟には人影もまばらで、半ばゴーストタウン化している。  ディンギーは、ヨットハーバーの陸にも海上にも見あたらない。    ハーバーを避けるように、西に隣接する砂浜の上に、伏せて置いてある光景 は異様である。 日韓親善ヨットレースとして名高い「アリランレース」の参加艇団は、直接 ここに入港して、取り調べ、いや手続きをする。 数十ハイの艇群と百人を越す参加人員をさばくには、この場所しか無い。  ここなら、役人数名が、車でやってくるだけで済し、大和民族の大混雑、大 移動が避けられる。 ところが、単独ないし2,3バイのヨットなら、釜山港の税関桟橋へ乗り付 けるしか方法は無い。 ここで手続きが完了したら、係留の為にそのヨットハーバーまで、また数時間 走らないといけない。  しかし、係留してからの安心度は、確実に高い。 でも、無事、手続きが完了したら・・である。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第317話

朝鮮通信使 その17 「税関事情」

税関桟橋へ横付けして、書類を持ってゲートのある税関のカウンターへ出か けて行った。 ノラリクラリと書類に目を通す風情をするのだが、手続きを始めようとしな い。書類に不備があるのなら、それを指摘してくれればよいものを、それがあ るわけではない。 「ヨツトへ帰って待て」と言うから、指示に従ってヨットで待っていても、 埒があかない。 その間にも、船舶代理店の人や、役人を乗せて、沖で待機中の貨物船等へ行 き帰りする通船が頻繁に発着を繰り返すので、落ちついて待って居られない。 その内に、一人の税関吏がヨツトへやってきて、キャビンへ入ろうと言うか ら、いよいよ手続き開始かと思うとそうではない。  「手続きは、エージェントに頼め」と言う。そして、この桟橋にいる人達が、 エージェントだと言う。 なるほど、みんな一様に携帯電話を持って、該当船舶とか会社とかと連絡を 取っている。 しかしである、我々は書類を完備してその上に、枚数が不足してはいけない と、コピーも沢山用意しているので、エージェントに依頼する必要が無いでは ないか。 ちなみに、エージェントに依頼すれば、15,6万円は掛かる事も、調べて ある。  自分でするのが建て前で、出来ないときに依頼するのがエージェントだと信 じている自分達には納得がいかない。 その内に、ある若者(エージェントの一人)が、自分なら半額で請け負うと 言った。 手続き代行料は、法で定められている筈のものだが、社長に相談もせず、若 造の判断で、値引きが出来るのかといぶかしんだ。 日本の税関その他の機関では、書類に不備が無いときは、OKが出るのにお よそ10分も掛からない。 私は、このコースでは、下関港湾合同庁舎をよく利用するが、一度だけ書類 が不足したときは、10分を越えたが、書類の雛形をコピーして下さって、お まけに只であった。  総領事さんは、「協力しましょう」だし、我々の訪ねる相手は釜山直轄市の 市長である。 福山市長の公文書を、黄門さまの印篭の様に突き出して、怒鳴ってやりたく なったが、悔しいかな、言葉が解らない。 「えーい、控えろー!! これが目に入らぬか !!」

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第318話

朝鮮通信使 その18 「困った時の”金”頼み」

 日本には、「困ったときの”神”頼み」という言葉がある。  韓国訪問のヨットマン達の間では、「困ったときの”金”頼み」と言うのが ある。 (但し、確認は出来ていない。)  ”金”を”かね”と呼ばないで”キム”と呼ぶのが正しい。  正しくは、医学博士 金 鶴大(キム ハクデ)と言う釜山市内で開業され ている歯科医である。 彼と知り合ったのは、1982年の手作り小型ヨットによる釜山初訪問時の、 近似トラブルの時であった。 彼は、ヨットマンであり、釜山ヨット協会の理事もされている。  勿論、日本語はペラペラで、税関、入国管理等の役人の中にも彼の患者が沢 山いるそうで、言葉の不案内な日本人のヨットが来たら、大抵彼を呼んで通訳 兼世話役を依頼する慣習が、役人サイドにも日本人ヨットマンにも出来ている とかいないとか。 実は、この度の様な事が予想されたので、金先生には日本から連絡をつけて おいたが、「到着しましたが、トラブっています」と、ここで公衆電話を掛け ようにも通関のゲートを潜らないと外へ出られない。  困ったところへ助け船ならぬお助け青年が現れて、渡した紙切れの電話番号 に連絡をしてやると言ってくれた。    電話用の小銭を出そうとすると「いや、いらない」と手を振って外へ飛び出 して行った。 「センセイ イマ シンサツチュウ。ジカン カカル。カワリノモノ イカ セル。スコシ マテ クダサイ。」 待つこと小一時間。代わりのヨットマンでもあるという青年が現たので、事 情を聞いて貰いながら金先生を待った。 先生が現れてから、一番にやったことは、こうである。 「やあ、○×▽さん(お役人)、その後歯の方はどうかね。」とか言いながら、 口を開けさせて、チョコッと覗いた。 口を開けた方が飲まれて、開けさせた方が人を呑んで掛かる雰囲気の中で、 しかるべき書類には、OKのはんこが押されて帰ってきた。 しかも、書類の不備を、指摘されることも無しにである。 開いた口が塞がらなかった。 ( 余談だが、今後は、通関時のノウハウ、隠しコマンドの研究が課題になり そうだ。)

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第319話

朝鮮通信使 その19 「訪釜山記念メダル」

 この国は、訪問した賓客に記念メダルを贈る事が、最高の敬意の表し方とす る節がある。  空路やって来た復路航海組のメンバーと落ち合って、福山市長からの釜山市 長宛のメッセージを携えて、市長舎を訪れたのは、到着2日後の事であった。 釜山市の市長さんが開口一番に言われた言葉が、ナゾめいて聞こえた。  「どうでしたか、入国はうまくいきましたか。」  「ええ、実は・・・・・・・・。ハイ、ハイ、オー、イエス、イエス!」  市長サイドから、入管、税関、コーストガード等への指令でもしてあったと 言うのだろうか。 まさか、昔の千石船や遣唐使、遣隋使に使われたでかい船を想定していたの ではあるまいに。 ヨツト(クルーザー)には500%の物品税を課すお国柄とはいえ、オリン ピックではヨット会場を務めた港町の関係役人が、概念としてヨットというも のを知らないとは考えにくい。 あの時の市長の言葉は、今でも腑に落ちない。 ところで、この会談の終わりに、市長自ら我々に「訪問記念メダル」を手渡 して下さった。  1982年の浦項市(福山市の親善都市)表敬訪問の時も、記念のメダルを 頂いた。 度重なるメダルの受領に対して、一つの質問をしてみた。 「このメダルはどの様な人が頂けるんですか。」 「賓客です。例えば、外交官等です。」 「ハハー、有り難きしあわせ!!!!!!」 「歓 迎   釜 山 直 轄 市   メダルの表面には、釜山市のシンボルマーク。   市鳥 カモメ。   市花 椿。   釜山の象徴 五六島。    釜山塔。 裏面には、忠烈公 宗 象賢。              」

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第320話

朝鮮通信使 最終回 「朝鮮・ニッポン通信使」  

金 鶴大先生が言われた。  「入国する時は、面倒なものです。もう、大丈夫です。出国する時は、問題 ありません。すぐ、OKが出るでしょう。」 後日、復路班に聞いたところでは、出国の手続きにも随分時間が掛かり、そ の内、助っ人が現れて、手伝ってくれたそうだ。 実際の通信使は、ここ釜山では、風待ちで数日を費やしたと聞く。  にわかに東風が吹いたが、それも微々たるものだ。しかし、対馬の役人が言 った。  「これは、吉兆である。明朝は必ず好風があるから、旅装を束ねるべし。」  船は、外に赤い幕を垂れ、内には十二間の板屋が設けられていた。  板屋の上層には軒があり、柱には彩画を浮き彫りし、黒褐色の幕をめぐらし、 四面には、帷幕を垂れ、七、八人が座れる様になっていた。    帷幕を上げれば景色が眺められた。  帆柱は二本、櫓は十二挺。 出港してしばらくすると、それまで止んでいた風が起こった。船は帆を揚げ た。  やがて大海に出た。船上の申維幹らは思い思いに碁や将棋を楽しみ、酒を酌み、 あるいはまどろみ、あるいは歌を唄って時を過ごした。          歴史街道より  平成の通信使は、釜山から一気に下関を狙い、広島県の下蒲刈島へ立ち寄り、 ユニークな町長以下の歓迎を受け(全行程で歓迎を受けたのは唯一ここだけ)、 一泊の後、鞆の浦を目指した。 鞆の浦港では、出迎えの藤井軍三郎名誉団長の出迎えを受け、後日福山市長 に帰朝報告をして、朝鮮通信使再現航海はその幕を閉じた。  余談だが、この航海に参加したメンバー神原さん(小学校教師)は、下蒲刈 町長に、立ち寄りの節、エールを贈られた。  「貴方の様なスケールの大きい先生にこそ、是非我が町で教鞭を執ってほしい。」 その彼は、今春、中国に返還になる香港へ、日本語教師として旅立つ。  朝鮮通信使が滞在する町には、学者や文人等が詩文の唱和を求めて、あるい は教えを乞いにやって来たと同じように、彼の地で日本の言葉や文化を教え広 めようと、気概に燃えている。  今様、「ニッポン通信使」が旅立つ。    コナ・ウィンドの風に乗って・・・。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第321話

朝鮮通信使 おまけ編 「週間パパタイム」

県下のテレビ局中国放送の番組に「週間パパタイム」と言うローカル番組が ある。 名物パパをゲストにして、観光名所案内、穴場案内とか、お勧めのレストラ ン、食事どころ、ユニーク喫茶店の紹介、奇人怪人の紹介とかをやっている。 今夜(1997.3.18)は、何故か「鞆の浦特集」との趣の内容になっていたので、 最後まで見てしまった。 やがて謎は解けたが、まず内容をご紹介しよう。  福山市鞆の浦には、ホテルを除いては、食事処はさほど多くは無い。  まず、その一つに「潮待ち茶屋」というのがある。  ここに、”ミニ通信使膳”らしきものが、二千数百円で用意されているそう だ。  対潮楼では、もう少し本格的な”通信使膳”を出して貰うことも出来るそう だ。 私は、この茶屋の前を、良く通るが、中に入った事はなかった。  TVでの紹介では、随分奥行きがあり、昔風の非常に情緒のある、雰囲気の 良い座敷で食べる事が出来る様で、俄然興味が湧いてきた。  その他に、「鞆の津」の炭火を使った「焼き団子」、「衣笠」の「鯛料理」 は、是非、「食べ鯛のぉー」  これが本当の「燈台元暗し」だろう。 近々、パケツト特派員は、「見に、臭いに、食べに」行って来るぞ。  さて、謎は解けた。  この番組の女性キャスター「北村武子」が、キーウーマンだった。 ベッピンのタケちゃんは、鞆の浦の某ホテルの娘さんで、彼女の父親は、私 のヨット仲間であった。  十数年前、44歳で若死にした彼の写真も、タケちゃんファミリーとして紹 介され、懐かしく拝見した。 父親やおじいさんの体質を受け継いだか、幼少の頃は、お多福さんだったの が、高校、大学、社会人とその体型がスリムになり、妖艶になっていく様を目 の当たりにして、「しまった、申し込んでおくんだった」と臍を咬んだ。  なんと今回は、彼女のキャスター最終回に当たるらしく、過去の番組を辿り、 彼女の変遷と人となりを紹介していたと言う訳だった。 回想シーンに、これまた私の友人の経営する、ユニーク崖上臨海多島ビュー 夕日サービス喫茶店「カフェ59(ファイブナイン)」のテラスで、コーヒーカップ を口に運ぶ女性のシーンが登場した。 この店も、潮待ち茶屋の路上も、サテンドール熊さんの足跡が残る。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第322話     「釜 山 港」  

釜山は韓国第二の都市であればなおさらだが、その国のでかい港町をヨット で訪れると、安心して係留する場所がない。  港湾設備の全てが大型船用で、やわな小型船は傷つけられたり潰されたりし かねないので、艇を離れることが出来ない。 私は、過去4回程、ヨットで釜山を訪問しているが、2回とも単独行では入 国手続きで苦労している。あとの2回はヨットレースとして団体行だったので、 レースの実行委員の苦労はさておき、我々は”ベルトコンベアに乗った荷物”、 はたまた”まな板の上の鯉”とも言い、成す術も無く並んで順番を待てば良か った。 さて、係留に関しては、次ぎのようになる。  第1回目 年 月 1982年5月 目 的 浦項市(福山市の親善都市)表敬訪問       使用艇   25ft.FRP自作艇での訪問。 手続き 難儀。金(カネと読まない。キム先生)頼み 係 留 釜山港税関前。(不法だが、まあ良い係留) ヨットは保税状態。出国まで、出入りは禁止。 特 記 日本からの、単独ヨット訪問は、一、二例だと言う。 第2回目 年 月 1986年5月 目 的 第1回トランス日本海ヨットレース(米子−釜山) 使用艇 YAMAHA26ft. 手続き ベルトコンベアー式 係 留 釜山港外海洋大学前岸壁へバウ付け。             100mの対岸から、スターンへロープ。 ヨットは保税状態になり、出国まで出入り禁止。 特 記 建設中のハーバー見学。兵隊による警備が厳しい。 第3回目 年 月 1987年5月 目 的 アリランレース(釜山まで、ファミリー回航) 使用艇 YAMAHA33 手続き ベルトコンベアー式 係 留 海雲台ヨットハーバー(ソウルオリンピックの一年             前、ハーバー正式オープン前) 特 記 銃を持った兵隊による警備が厳しい。             ヨツトは保税状態になり、出国までは出入り禁止。         [1988年 ソウルオリンピック] 第4回目 年 月 1992年5月 目 的 朝鮮通信使再現航海 使用艇   FS−32 手続き 難儀。金頼み。 係 留 海雲台ヨットハーバー。チョベリグー。 特 記 守衛も居ない。構内は閑散。うろつく人も疎ら。 係留料金は安い。 ヨットへの出入りは自由。             艇内泊も自由。 ハーバーへ係留したまま帰国し、一月後に取りに来             るという日本艇があった。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第323話   

韓国逸話 「医学博士 金(キム)先生」  

我が福山市には、韓国に浦項市という親善都市なるものがある。  釜山市から北東100km程の所にあり、日本海に面した製鉄の町である。 1982年、福山ヨットスポーツ界を代表して、誰に頼まれた訳でもないの に無理矢理福山市長にメッセージを書いて頂き、ヨットに依る表敬訪問を敢行し た。 我が町のヨットマン達にとって、驚天動地の出来事であったと後に聞いた。 この時は、艇団を組まない全くの単独訪問だったので、我々をとっ捕まえた 沿岸警備隊からして対応に苦慮し、つまみの壊れたボリュームの心棒をペンチ で摘んで変調、音声の調整をしながら、無線で陸の関係官庁の役人を呼んでく れた。 この時、税関に通訳として呼ばれたのが、ヨツトマンであり日本語に堪能な 医学博士キム先生であった。 浦項の市長さんにカニ料理を頂き、公用車で慶州の観光をさせていただき、 帰国しようと準備に入ったとき、見送りに来てくださったキム先生が、我々の 手作りの小さなクルーザーを何度も何度も眺め、あるいは狭いキャビンへ身体 を潜り込ませては、長嘆息をついた。 この光景が気になっていた私は、二度目の訪韓の折り、先生と飲みながら、 アルコールの力を借りて聞いてみた。 何しろ医学博士である。  こちらも構えすぎて、会話もややぎこちなさがみえたが、酒の力はぐっと緊 張感と二人の間の障壁を取り去ってくれた。 先生の話では、韓国ではヨットは贅沢品なので「乗るな」とは言わないが、 「手に入れにくい」状態にして、実質「乗れない」現状だと言われた。  何しろ、当時クルーザーは、物品税が500%だといって、この自分でもク ルーザーは持てないのだと言われた。 やがて打ち解けてきたキム先生が心の内を、語ってくれた。  彼の一言により、私は、男の共感と親しみを覚え、そして、心の緊張感が急 速に和むのを感じた。 キム先生 「イシカワサン、ワタシニモ ”ユメ” ガ アリマス。」 私 「先生、ヨツトで太平洋横断でもしたいのですか。」 キム 「クルーザー ガ モテタラ コレト イッショ ニ ノリタイ        ノデス」  そう言って、私の目の前に、グッと”小指”を突き出した。  その瞬間、緊張がはじけた。    得も言われぬおかしさがこみ上げて来て、しばらく笑い転げた。  この一瞬に、日本と韓国の心が、解け合ったような気がした。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>>

 

海・千夜一話物語 第324話  

 韓国逸話 「朝鮮人参社」

 市長舎の斜向かいに、私が必ず立ち寄る「朝鮮人参社」という名のみやげ物 屋がある。詳しくは、釜山市中区東光洞一街一番地である。  俗に釜山デパートという建物の中、一階の中程にある。  1982年の初訪問の時、縁があっておみやげを買いに立ち寄った際、店長 である中年のおばちゃんに「自分の子供に良く似ているから、まけて(値引き) あげる」と言われて以来、ひいきにしている店である。  「この青磁の壷は、慶洲(日本人も韓国人も良く行く観光地)では、倍はす るわよ。」の言葉を眉唾ものと聞き流し、慶洲へ行った時に、日本人相手の土 産物屋で実際に2倍で売られていたのを目撃して以来、朝鮮人参社のおばちゃ んと店を信用するようになった。  日本のデパートを想像するとギャップを感じるが、薄暗い店内には客の姿は疎 らであり、日本人の姿は滅多に目にお目に掛かれない。  日本人を相手にする土産物店は、ずっと明るく、日本人の好みそうな品揃えが してあるが、勿論、値段も日本人向けに設定してある。 扱う商品は、高麗人参(俗に朝鮮人参)、人参茶、人参製品一切、高麗青磁、 李朝白磁、陶磁器一切、その他小物お土産品等々であるが、信用も売っている。 信用があるから、万事安心である。商品以外の事でも相談に乗ってくれる。 アリランレースで、ファミリーでの回航の時、ここを訪ねたら、同行の娘二 人に「ヨクキタ ヨクキタ ! コレ ノミナサイ。 コレ アゲルヨ!」と 言って、ドリンクは出すわ、キーホルダーは手に握らせるわで、子供達の小さ な手に余った事がある。  帰国後、専売公社シールの貼ってある朝鮮人参茶が入用になり、電話で注文 したことがあった。  数万円分の注文に対して、「オカネハ シナモノガ ツイテカラ オクッテ クレレバヨロシイ」との返事が帰ってきた。 益々、そこの李社長が気に入った。

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>> 

 

海・千夜一話物語 第325話  

 韓国逸話 「飲み代10万円」  

アリランレースには、ヨット貧乏から財閥まで雑多な人間が参加している。  ある時、バスを仕立てて免税店(店の名前と思えば良い。実際は安くない。) へお土産の買い出しに言った。  道中、私の席の同列に座った財閥系の職業らしき人が、バスガイドを口説き 始めたと思ったが、聞き耳を立てていると、こうである。  「夕べ、ホテルの前の屋台の一つに入って、友達と飲んだら、10万円請求 された。納得いかない。」  彼等は、魚介類の刺身をつまみにビール数本を飲んだだけだと言う。 バスガイドが、こう言った。「それは、高いです。ここの屋台は、高い所で はありません。今晩お金を取り返しに行きましょう。」 余談だが、ここ海雲台は、ウォーターフロントの観光地で、海水浴場沿いにホ テル群が建ち並び、夜ともなると遊歩道にその数、百にも及ぶ屋台がテントを 貼り、うまい刺身やつまみを並べて酒を飲ませてくれる。あるいは、照明に趣 向を凝らしてカラオケで唄わせている。若いカップルや若者のグループが気楽 に利用し、また、潮風に吹かれ、その間を縫いながらの散歩も風情がある。  あとで、知ったことだが、日本人はふっかけられやすいので、後のクレーム 処理の為に、必ず「屋台番号」を記録しておくことが大事だと言う。 屋台は、許可された屋台番号が、良く見える箇所に表示してあるそうだ。  おおよその位置と屋台番号さえも、覚えていないと財閥系は言ったが、「な んとか現場で記憶を頼りに探しましょう」という事で相談がまとまり、買い物 からホテルへ帰ってきた。 折悪しく、その晩は通り雨に見舞われた。  ガイドさんが現れて、「さあ、屋台を探して、お金を取り返しに行きましょ う!」と凛々しく財閥系に声を掛けて、笠を差し出した。  それに応えて言った財閥系の返答には、唖然としてしまった。 「雨に濡れるのは嫌だから、もうこの事は水に流します。」

<<< ここは瀬戸内ど真ん中・坂本龍馬のいろは丸記念館のある鞆の浦 >>>

<<< 凾c  De JA4QEY @ JM4WJT. 35. JNET4. JPN.AS >>>

<<< ■■ QTH:Fukuyama-city Hiroshima-pref. QRA:M.ISHIKAWA >>>