Part4 サンファン島 Friday Harbor

8日目

米国の友人との4年振りの再会

ヨット・オリハルコン号は山下一家と私を乗せてカナダとアメリカの国境を越えて友人のアメリカ人ヨットマン・カップルの済むサン・ファン島を訪れた。
  私と彼等は4年振りの再会である。
  入国の手続きの為に税関へ出向くと、山下一家のアラスカでのオーバーステイが問題とされて、全員入国拒否となった。周りのヨットマンはみんな親切で、何とか入国許可を得られるように力を貸してくれたのだが、結局税関吏は首を縦に振らなかった。
  「必ずカムバツクしてね」と言うP嬢とはわずか2時間の再会を果たしてこの島を後にした。まだ日が高いのでカナダ側へ帰る事を決断して帆を揚げた。
  考えてみると この度は迂闊だった。
すぐそこの島へ行く・・と言う感覚でカナダのビクトリアの港を出て国境を越えた。フェリーで一時間半のこの島は、ヨットの機走でも3〜4時間で来られる。そんな距離・時間感覚が国境の存在を忘れさせた。米国側で入管と税関の手続きをすれば全てOKだと思っていたが、カナダ側の出国の手続きの事はすっかり忘れていた。

 

1997年鞆の浦を訪ねて来た米国ヨット

1997年にわが町の鞆の浦へひよっこり現れたNEHAN号はがっしりとした内装の美しいそして追い波に強いとされているダブルエンダー型のヨットだった。ヨット仲間を呼び集めて小パーティーをしてもてなしたり、隣の尾道市内観光へも連れ出して楽しんでもらった。
アメリカ人のカップルは、若いだけに感受性も強く、我々のささやかなもてなしにも感動感激していた。彼らはアメリカの有名なヨットの雑誌に航海の模様を投稿しているそうで、何事につけ好奇心の旺盛さを見せた。やがて彼らと別れる時が来た。
 別れ際の抱擁にも情がこもり、互いに万感胸に迫る物があった。P嬢の目が潤んでいた。私も情にもろい人間なので、別れ際の気持ちの整理に戸惑った。釣られて惜別の情が胸をついた。
 むなしいが社交辞令的な別れの言葉がある。
 「いつか来いよ」 「いつの日にか行くよ」
 行く事も来る事も、どちらもさほどの期待をしていない・・そんな挨拶で別れた。


9日目

到着するWSFフェリー

 ヨット・オリハルコン号が入国拒否を受けてから、一旦カナダ側のシドニーマリーナに引き返したのは昨日の事である。運良くそこにはカナダ−アメリカ間を連絡するフェリー乗り場が近くにあるという願っても無い場所であった。マリーナのヨットに一泊してから、午後フェリー乗り場へ向かった。もちろんここはカナダであるが、金網で囲まれたエントランスを進んでいくと中ほどに米国入管の小屋があり、入国審査をここで済ませる。そして足元の白線を越えれば米国へ入国したとみなされるシステムになっている。
 ゆったりとしたフェリーボートは約1時間半を走ってサン・ファン島のフライデー・ハーバーへ到着する。上陸時点で人も車も徹底して税関のチエックを受ける。
 山下さんに電話してP嬢に迎えを頼む件の連絡が無かったのか、出迎えが無い。こんな所で夜を迎えたくない。税官吏はP嬢を知っているとみえて、私への荷物チェックはいとも簡単に済ませてくれて「そこに公衆電話があるから、電話して呼び出せ」と親切を絵に書いた。やばい、時間的な余裕が無くて、アメリカドルへの両替をしていなかった。右往左往している内に、懐かしい顔が出迎えてくれた。

サン・ファン島の林立するヨットのマスト群

 

 ここサン・ファン島は、リゾートの島である。幾多のヨットハーバーと無数のヨットやモーターヨットと海辺や崖淵の別荘群。近くにシアトルがあり、IT関連企業の金持ちがこの国境の島へセカンドハウスを建てハーバーにはヨットやモータークルーザーを係留して自然や鯨やオルカワッチングを楽しむようになった。ハーバーの自分の桟橋の下にかごを静めるれば、大型のかにが取れるが、それをする人は少ない。シニアヨットマンは、天気のよいときには、自艇まで出かけてきて、木部分はいつも磨いたりニス塗りをしている。彼らと話をすると決まって、地中海やエーゲ海カリブ海、太平洋や大西洋の体験の一つや二つは持っている。

カヌー、テンダー、手押し車

 

 ヨットハーバーの空間の一部分をカメラのフレームで切り取って眺めてみると、ワンカット、ワンカットが絵になる。
 無理して語る必要は無い。
  パターンや色彩の組み合わせを楽しむ。

 

 

廃棄ボートを利用したレストランの花壇

 

  オーターフロントのレストランの入り口には、花が飾ってある。
  中には廃棄ボートを利用した花活け、花壇、お花ボートがあった。
  粋だね。

霧のヨットハーバー

 

え込んだ朝、暖かい風が流れて来て霧が発生した。
 幻想的な濃霧は日常良くあることだと言う。
 カメラのフレームで部分を切り取ってみれば、美しい光景を捉える事もある。
 霧の朝、桟橋に舫われた一艘の手漕ぎボートが、ツンと乙に澄ましていた。

 

 


10日目

ディキシーランドジャズを聞く少年

 

 後ろ手に構えて、腰をリズミカルに動かしている幼児のポーズが小気味良い。
  観客はタクトのように見事にリズムを捉えて動く幼児のお尻に笑いをこらえ、ジャズのリズムに酔った。
 ピクニックしながら楽しむディキシーランドジャズのコンサートの一コマである。
 バンジョーの素朴な太い音と繊細なバイオリンの音との絡み合いが楽しい。

夕方の野外ジャズコンサート

 

 サン・フアン島の原点を伝える古めかしいこの家を舞台としてのコンサートを人々は三々五々集まってピクニック気分で楽しむ。
パンやクッキーをワインやジュースで口にする。
あるグループはシートを広げて座り、あるグループは椅子を持ち込んでリラックススタイルで夕暮れのコンサートを楽しむ。
 交替で私の面倒を見てくれている、P嬢の相方のJ男も参加して日が暮れるまでジャズを堪能した。
 夜の帳が下りた頃、コンサートが終わった。どうした事か、「今夜は、お前の好きな所を宿泊に選べ」と言った。J男が建てた山荘も良し、桟橋に係留中のヨットの中でも良し・・・・・・。    「???????」
 やがてその訳が解った。  私は綜合的にそして高度な判断から、ヨットのキャビンを選んだ。


[夜のヨットのキャビンで彼女は泣いた]

 出発前に、彼女とは打ち合わせも兼ねて何回かメールの交換をした。文面の中で、私の来訪を喜びながらも気になる一節があった。
 「こちらへ来る事は大歓迎よ。しかし私たちは問題を抱えている。しかも too bad」 
 その問題とは私を出迎える上での問題なのか。非常に悪いとは・・・・?

  出迎えてくれた二人は4年前にあったときと同じ仲の良いカップルであった。
 滞在した4日間、二人があるときは一緒にシアトル近郊の観光地へドライブに連れて行ってくれたり、そしてある時は変るがわる仕事の合間に 島内ドライブやオルカ(シャチ)ワッチング等の計画を立ててくれた。しかし、二人の間に笑顔が少ないのが気がかりだつた。

 ジャズコンサートの夜、今夜泊まる場所を選べ、山荘かヨットのキャビンか・・といわれた時に、ただ距離的な問題だとばかり思って、ハーバーの朝をスケッチしたかったので、ヨットのキャビンを選んだ。
 コンサートとピクニックが終わって、P嬢とヨットへ帰ってきた。キャビンの中ではスポット照明に切り替えて、テーブルの上だけに柔らかな光が落ちるように光源に細工を施した。
 かいがいしくPは私用のベッドを作り、ナイトキャップにとテーブルの上のグラスにワインを注いだ。
 テーブルに落ちる光の照り返しは薄暗く、表情の判別はし難いものの、Pの顔をちらっと覗くと、泣いている風情だった。
  「?!」 
  月夜の魔性の精か、ワインによる酔いの精か、感情が激してきて、確かに泣いていた。
 悲しみがピークに達した時、彼女は私に英和辞書のページを開いて、ある一点を指した。
 「SEPARATION」----------「べ・っ・き・ょ」  別居?  
  「WHY?」
 「彼が失業中なの。それが原因でイライラしているの。プライドが傷つき、投げやりになっているの」と訳を話してくれた。
 察するに、一緒に住んでいるとばかりに思えた山荘も、実は彼がそこに住み、彼女はヨットから職場へ通っているようだ。 このヨツトのキャビンなら、惨めな思いはしなくても済むくらい立派だからそれ自体は問題ないとしても、別居故のヨット住まいなら考えさせられる。
 私の手前、仲が良さそうに振舞いながらも、一抹の寂しさの漂う二人の間の空気を、おぼろげながらも感じ取っていた。
 掛ける言葉を持ち合わせてはいなかった。黙って彼女の手を握ってやって、元気付けてやるだけだった。
 まともにP嬢の顔を見てたら、知らず自分も涙が滲んで来る。 それぞれの事情はあろうが、仲良くやってよ・・・・・。
 メインキャビンのベッドに身体を横たえながら、別室で泣いているであろう彼女の事を思いつつ、複雑な気持ちで目を閉じた。

 そうだったのか・・・・・・・。  ”too bad”


12日目

see you again

いよいよ別れの時が訪れた。
  握手、抱擁。
  感謝とお礼の挨拶を伝えて、私はフェリーの人となった。
 「Thank’s a TON」 1トンほど重い感謝を捧げます。
 「また帰ってくるぞー」と叫ぶ声を風が消していく。
  楽しかったこの島へは、真底から帰って来たいと思った。
 フェリーが離れていく。P嬢とJ男がおもいっきり手を振ってくれる。
 私はふと気がついた。 無意識の内に、二人は互いの間に一人分の空間を作って並んでいた。

 嗚呼、 まだ、二人の心の溝は埋っていない。